『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

大井神社と私 2 魔訶不思議。そして、近畿九州を経て中国大陸へ繋がる糸。

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 大井神社境内・巽神社(意富比辯財天)

 

「大井神社。来たことがあるかも事件」では、

確かに来たと判明するまで、

悩ましき日々を送っていたものです。

その後、あるはあるは不思議なことが!

スピリチュアル系の人だと誤解されたくないので

あまり書きたくないんだけども、

やはり少しは書きたいので、簡潔に箇条書き。

詳細な説明は省きます。

○予定の狂った事により、

 いつもは閉まっている拝殿が

 開いている時に来合わせる。

 そして、宮司様ともお会いでき、

 以前自分の撮った写真の件で、

 ハガキを戴いていたことなどもあり、

 話しているうちに、

 簡単な御祈祷までしてもらった。

 恐縮至極…。

○拝殿の屋根を撮った写真に

 弁財天が写る。

○またまた予定が狂った事により、

 宮司様と遭遇。

決して近くはないので、年に2、3回

 参拝出来れば…という状況で、

 これまた常駐していない宮司様と

 2回も偶然会うとは、かなりの頻度です。

 突然思い立って行ったのは4回なので、

 50%の確率ですね。

 

こうなったら、例祭の日にも

一度行きたいなと思い、

日時を聞いて、4月10日に行ったのだが、

大勢人が集まるのかと思いきや、

今は宮司様と氏子さんがただけで

こじんまりとした祭事を行うだけだそう。

しかも、片隅から見学させてもらうだけと

思っていたところ、

自分の席も用意され…

そんなことなら、もう少し早く来れば良かった。

開始時間ギリギリになってしまった。

そもそも、本当はもう少し早く着く予定だったが、

何故遅くなったのかというと、

いつもの正面ではなく、

裏に回ってもう一つの入口へ行ってみようと

思ってしまったためである。

すると、思っていたより入り口が目立たなく、

わからないまま行き過ぎて、

結局だいぶ大回りをして、

いつもの正面へ行くことに。

やはり、神祇に対しては

正々堂々と正面から行けということでしょう。

このことは、写真を撮るときに

すでに会得していたはず。

すなわち、社殿を撮る場合、

たまには趣向を変えてなどと思い、

斜めからとか撮ると、

結構うまくいかなくて、

結局のところ、真正面から撮ったものが

一番良いという事がよくある。

 

幸い奉納品として、

神崎のお酒を用意して行ったので、

良かった良かった。

『神崎蔵』、建借馬命様の

お口に合ったでしょうかね?

 

再三書いている「予定が狂った」というのは、

行こうとしていた日に、別の予定が入って

変更したのと、

途中で、行方市の三昧塚古墳の近くを

通ることに気付き、寄っていたので、

水戸への到着も、

予定より遅くなった。

しかし、このうちのどこが狂っても、

拝殿が開け放たれているという稀有な時

遭遇することなく、

宮司様とお会いすることが無かったと思うと、

返す返す魔訶不思議

 

頻繁に行けるならともかく、

通常は無人の、ごくたまにしか訪ねない神社に、

登殿し、ご神鏡なども間近で拝見し、

例祭にも参列したこと。

しかも、それが常々心にかけていた

建借馬命の御社ですぞ!

何としたことでしょう!

 

そもそも、古代史の旅を始めた発端も、

地元麻賀多神社での、

稀有な体験。

そして、鹿島へ、水戸へ、三輪へ、

多氏族関連地点へと次々繋がる連鎖

何か、前世の因縁でもあると

思わざるを得ない今日この頃。

 

そうそう、九州にも行くべきなのです。

元々常陸多氏は、九州の出自であることが濃厚。

その上、今年、奈良県の三輪へ行き、

その後色々調べてみると、

福岡県朝倉付近にも三輪があり

大和は、九州の勢力が、そのまま移動したものらしい。

九州南部と近畿に似た地名が多いのは、

知っていましたが、

最近、糸島に「桜井」や「志摩」の地名があり、

伊勢と殆ど同じような夫婦岩が、

これまた二見ヶ浦という所に

あるのを知った。

ホント、そのままではありませんか!

 

奈良も今年ようやく行けたのに、

九州は、これまたいつ行けるのかな?

しかし、建借馬命とは、

何だか多大な縁がありそうですよ。

いづれ九州へも飛ばしてくれるでありましょう。

そして、その次は広西チワン族自治区かな?

なぜなら、笠間市水戸市の境に

朝房山があり、

それと同じ名前の山が、チワン族自治区

あることがわかったのです。

多氏族は、渡来系の可能性があり、

ダイダラボウや天狗の伝承から、

渡来系でも、朝鮮ではなく、

もっと西の方かもしれないとは、

常々考えていたことから、

これは捨て置けない。

しかも、チワン族自治区の朝房山の近くには、

「麻○○」(○○は変換出来ませんでした)という、

変化すれば「まかた」と読めなくはなさそうな、

地名があるのです。○○の文字は、

「手偏に爪」と、「陀」に似た字です。

中国語のピンインは、“ma zhua tuo”

  ウーン今度は声調が入れられん。

まあ、なんとなくこんな感じです。

麻賀多神社の名称は謎とされて、

定説が無く、「真潟」だろうと

推測されたっきりになっている。

私は、そんなものではなく、

このチワン族自治区が、かなり有力なのでは

と考えます。

その他、インドの「摩加陀国」も考えてますが、

もっと西に行ってしまいましたね。

これがわかったのは、朝房山に登れなかったために、

後でまた朝房山の事を調べたことからで、

一見失敗に見えたことも、

それが、善き方に繋がって、

全てが仕組まれているような気分になる。

しかしね。さすがに中国はね…。

行けと言われ、行かせてくれるならどこへでも飛びますが…。

朝房山は、200m級の低い山だけれども、

三輪型神話の伝承を持ち

この地の多氏族とも大いに関わると言われる山です

 

実は前述の、もう一つの「予定が狂った」は、

朝房山に登ろうとして、行けなかった話。

それは、また後日。

 

※敢えて避けている

 スピリチュアル風を

 書いてしまえば、

 こんなことも…

・撮影した写真をパソコンで

 整理していると、

 何もいじってないのに、

 音楽が鳴りだした。

 それも、

 自分で取り込んだ曲ではなく、

 全く知らない曲。

 少し和風なメロディーが、

 中途半端に今風になってる。

 誰かな?

 洒落たことをしてくれます (^^♪

 

 ・弁財天が写って依頼、何だか色々写る。

       などなど…以上!

 

さすがにこの記事、

カテゴリは「歴史」にしませんでしたよ"(-""-)"

「歴史・随筆」です。

 

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  大井神社拝殿

 

 

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