『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

鹿島神宮・神楽太鼓 

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   鹿島神宮拝殿

 

神社でお神楽の太鼓が聞こえてくると

ワクワクします。

ゆっくりから段々と速くなっていく

お馴染みのリズムの他に

神社によって、

独特のパターンがあったりします。

 

鹿島神宮の太鼓は、

途中からリズムが変わり

勇壮に盛り上がって行きます。

軍神ということが

意識されているのでしょうか?

本来は、軍神ではなく

国土の東端の日の神であり、

国境の守りであるとか、

旅の安全を守ってくれるとか、

諸々の支えになってくれる

土地の神様

それが、7世紀以降、

対大陸関係が不穏になると、

次第に戦の守り神になっていきました。

ますます強化された東北への進出は、

大国の脅威に対して

より統一された強い国家体制が

必要になったためです。

進軍に際しては、皆

我らの鹿島の神に祈りを捧げ、

神を奉じて船出しました。

一方、西の守りに駆り出された者達も、

地元の神を心に念じ、

帰れないかも知れぬ道を

旅立って行ったのです。

誰もそんなところへは行きたくなかった

でも行かねばならない者達が、

より強い加護を神に求めたのです。

中央政府も、そういった人々を

何とか鼓舞しようと、

鹿島の神をより強い軍神に

仕立てていったのでしょう。

 

やがて御祭神も

記紀の神話で活躍する武甕槌神

定まりました。

武甕槌命」が、鹿島神宮の祭神として

文献に登場するのは

比較的新しいことなのですよ。

平安時代初期。

※しかし、武甕槌命が意味も無く、

鹿島神宮の祭神とされたわけではありません。

その出自もまた、多氏族と関わっています。

 

それ以前は、「香島の天の大神」

“かしま” は風土記には、

“香島” と表記されています。

"かしま”の語は、

那賀国造の祖・建借馬命から

名付けられたと思います。

常陸国鹿島郡は、後から出来たもので、

鹿島一帯は、はじめは那賀国でした。

建借馬命が開拓し、

代々が治めていた地域です。

 

鹿島神宮の太鼓が、

軍神を意識しての事なのかは

わかりませんが、

まさに鼓舞されるような響きです。

これは、陣太鼓なのだと思いました。

そして、浮かぶのは風土記の光景。

~手ごわい敵を欺くために、

建借馬命の計略により

湖上に船を浮かべて

自らの疑似葬儀が行われている。

水辺に流れる笛の音、琴の音。

杵を打ち鳴らして、

舞楽曲が盛り上がる。

これを毎夜続けるのが、古代の葬送である。

7日目、

相手の将が死んだと判断した敵が

浜に姿を現した。

確かにこれは、葬送である。

敵の大将は死んだのだ。

彼等は、喜び笑いあった。

その時、優雅な楽の音が突然止んだ。

太鼓のリズムが陣太鼓に変わる。

背後の山から隠れていた兵が躍り出た。

葬送の船楽の場は、

戦場に変わった。

 

風土記のこの部分が、

疑似葬送の場面であり、

敵も、よく言われるような

単なるお人好しなどではなく、

好敵手として存在し、

建借馬命が、一方的に

良い人たちを攻めたので無いことは、

細部までよく読めばわかります。

詳細はホームページに載せています。

参考にして下さい。

iniparu.jimdo.com