『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

印波国6世紀。ある日の情景。

 

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  麻賀多神社一の鳥居付近から印旛沼水路の方を望む

 

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        麻賀多神社一の鳥居

 

湾に船が入って来る。

そして、聞こえくる人々の声。

船を迎える準備をする人達。

船着き場の左右で、

円墳が出迎えます。

完成したばかりの先代首長の墳墓。

少し年数の経た先先代の墳墓。

到着した一行は、

高台へ上る道を進みます。

ここは、氏神様の参道。

無事戻ったことを感謝し、

旅の報告をする。

隣国の首長との交渉、

または、交易関係のことでしょうか。

客人を連れて来たのかもしれません。

 

6世紀の印波国。

成田市下方から台方の

麻賀多神社一の鳥居から、

神社へかけての情景を、

想像して書いて見ました。

一の鳥居はかつては水中鳥居で、

即ち、ここと印旛沼水路の間の土地が、

海だったのです。

古墳は、大塚古墳と丸塚古墳

石枕や銅鏡が出土しましたが、

十分な調査ができないまま、

消滅した古墳です。

 

古代史の探求に当たっては、

“必ず地図で位置関係を確かめること”と

“現地を見る!”

というのをモットーと

しています。

それは、

地元の遺跡や神社に足を運ぶうちに、

つくづく実感している事です。

何故こうなのかが、

周辺の地形などから判ったり、

疑問が解けたりします。

また、現在の地形ではなく、

なるべく古代の様相に

近いものを想定して、

考えなければなりません。

印旛沼周辺で最も重要なのは、

印旛沼がかつては

現在の利根川霞ケ浦手賀沼

ひとつながりの内海だったと

いう事です。

大体、高台の下に広がる水田は、

かつては海の一部の水域だったと

考えます。

そういう空想を巡らしながら、

景色を眺めると見えてきませんか?

古代の風景が…。

 

印波国の事が中心のホームページの

ドロップアウトでありながら、

印波国の事をあまり書いてないなぁと

気付き、この記事を…。

なぜなら、常陸国のことも山ほどあるし、

本年は、念願の奈良と伊勢へ行き、

これまた多大なる収穫を得たので、

それを次々と書かねばならないので、

またまた印波国の記述ではなくなる。

この辺で書いておかないと。

 

 行ってみて、やはり実感したのは、

現地を見て始めてわかるのだという事。

これはきっと物理的なものだけではない。

その土地のというか

そういうものが絶対あります。

 

しかし、前述の印波国のこの地点

出発点として、大変重要です。

そして、旅の収穫は

全て印波国と関わるものであります。

旅するとも…

我らと共に!

スターウォーズか?(o|o)

 

古代史に関するホームページを作成中です。

参考にしてください。

iniparu.jimdo.com