『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

成田市の数少ない鹿島鳥居のこと。

成田市橋賀台付近。

素朴で素晴らしい鹿島鳥居がある神社。

老朽化で、建て替えられて

しまうのではないかと、

日々ヒヤヒヤしている (´・ω・`)

神社名は、地図では「五神社」と

なっているが、果たして…。

詳細は本文中に。

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instagramに投稿しつつ、

早急にブログにも書いておかねば

という事が出来たので、取り急ぎ。

 

神社の鳥居の事だ。

もっと言えば、成田市にある

数少ない「鹿島鳥居」についてである。

鳥居の老朽化に伴い、

建て替えられる時、

それまでの型と変わってしまう

場合が多い。

そして、たいていは

石製の明神鳥居か台輪鳥居が、

選択されるように思われる。

実際最もよく見られる型である。

ちょっと待った!と言いたい。

 

鳥居の形式は、それなりの

意味があったのではないのか?

大社となれば、

古来の型式がずっと継承されている。

伊勢系は神明鳥居。

鹿島神宮は、伊勢系から派生した鹿島鳥居。

大神神社は三つ鳥居。

その意味がわかると、

歴史の秘密も解くことが

出来るかもしれない

大事な情報ともなり得るものだ。

※神明系は、ちょっと思いつかないのだが、

三つ鳥居に関しては、実は最近わかったような

気がしている。これは、奈良紀行で…。

 

印旛沼河畔で言えば、

麻賀多神社本宮の一の鳥居

水中鳥居だったものが、

現在はそうでないのは、

道路整備などの関係なのだが、

かつては水中鳥居だったことは、

周知なので、まあ良しとする。

問題はその形だ。

現在は石製台輪鳥居。(前々回の記事参照)

ところが、昭和62年に書かれた

『千葉県神社名鑑』の画像に

水中鳥居が写っており、

それは鹿島鳥居であった。

今の鳥居になる前は、

麻賀多神社一の鳥居は、

鹿島鳥居だったのだ。

印波が鹿島と関連ありと思っている自分には、

これは、非常に重要である。

とはいえ、その写真の鹿島鳥居も

古代からあるわけではなく、

何度も建て替えられた結果であり、

建てられた時代の事情というものが

反映されるので、

古代の創建とは

すぐに結び付けられるものではないが、

少なくともある時期の事情を反映し、

それはもしかすると、

古代まで遡れるかもしれないのだ。

 

実は、印旛沼周辺には、

鹿島鳥居が幾つか存在する。

それは、印西市下井付近で、

その理由ははっきりしている。

下井を含む印旛沼の北西側は、

近世に新田開発された所で、

一部は、現在の茨城県利根町付近からの

移住者が開墾した。

その付近の神社に鹿島鳥居があるのは、

そのためだろうと思っている。

実に利根川の北の茨城県側と

南の千葉県側では、

鹿島神社の分布が、

全く違う。

千葉県側は、無きに等しい言ってよい。

自分の知っているのは、

成田市土室の一社のみ。

 

印西市下井の鹿島鳥居は、

近世の開墾事情を

よく表していると言える。

その時代のモニュメントである

これが建て替えられて、

もしも別の型になってしまったら、

非常に残念だ。

しかし、ここもまた、

茨城側からの移住者がいた事が

わかっており、

資料もあるので、

忘れ去られはしないであろう。

 

最も問題にしたいのは、

前述の麻賀多神社一の鳥居と、

成田市橋賀台付近の

ごく小さな社に立てられた

鹿島鳥居の事だ。

その問題の社は、

橋賀台2丁目から

台方の方へ降りる道の右側、

かなりの高台にある。

頂上に石宮があり、

傍らに五社神の石柱。

中央の石宮に何が祀られているのか

わからないので、

地図などには「五神社」と

出ていたりする。

しかし、所在地などから

『千葉県神社名鑑』に「世直神社」と

記載のあるのが、ここなのではないかと思う。

「世直」というのがどういう謂れか

わからないけども、

船形の麻賀多神社境内に、

「世直神社」の石宮があるので、

ここからの勧請とするのに、

辻褄も合う。

このように、

本来の名称も忘れかけられている

小社なのである。

そこの神社の鳥居が、

鹿島鳥居なのだ。

それも、素朴な木製の

笠木の片側を細く作るという

鹿島鳥居の約束も

きちんと守られた貴重なものだ。

因みに、「片側を細く」というのは、

自然木をそのまま用いた様態である。

 

最近、近隣では、

船形の浅間神社の鳥居が建て替えられた。

素朴な木の鳥居だったものが、

立派な石の鳥居になった。

型は、ちゃんと確認していないが、

明神鳥居か、台輪鳥居のいずれかと

思われる。

新しくなるのは結構なことなのだが、

以前の特異な雰囲気の

木の鳥居も惜しまれる。

宗忠鳥居だった気がするが、

今となっては不明。

早く写真を撮っておけば良かった😥

 

あの「世直神社」の

素晴らしい鹿島鳥居が、

ある日建て替えられて、

よくある石の明神鳥居か何かに

なってしまうのではないかと、

ヒヤヒヤしている。

近くを通った時は、様子を伺い、

良かった!あるある、鹿島鳥居!

と思っているのである。

 

しかし、『千葉県神社名鑑』の、

麻賀多神社一の鳥居の画像。

よくぞこの写真をのせてくれました

という感じ!

ほとんどの神社は、

ごく普通に、

社殿の写真が載せられているが、

麻賀多神社本宮は、

この水中鳥居の写真のみ。

やはり何者かの力が働いて、

残るものは残るのかもしれない。

サムシング・グレート…☆

 

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