奈良県 唐古鍵遺跡
以前からずっと気になっていた所です。
ずっと以前何かに載っていたこの復元楼閣を見て驚いたことといったら!
何故なら、学生時代にお遊びでしおりを作り、
中国風の風景のつもりで高い山を描いて
その上に乗せたのが、この楼閣とそっくりだったからです。
1994年に復元されたこの楼閣は、その頃まだ出来ていないし、
楼閣の描かれた土器の発掘されたのも、
もちろん知りませんでした。(というか、まだ発見されていなかったかも
しれない…)
「中国風の風景のつもりで」と書きましたがが、
この楼閣の意匠が、中国伝来ということではありません。
当時の無知なる私めが、勝手に「中国風」として描いたのが
たまたまこれに似ていたのです。
中国にはよく屋根の角の部分が反り返ったデザインの
建物がありますが、そのつもりで描き、
反り返りが過ぎてクルンとなってしまったのだと思いますが、
まさか我が国の古代に、このような建物があったとは!
それはさておき、
この建物の屋根に付いている装飾は何なのか…。
最近の多少勉強した私には、なんとなく解りますぞ。
以前の記事でも書いた縄文時代から継承された形。
「蕨手紋」にそっくりではありませんか。
また、楼閣には鳥の造形があしらわれていますが、
元になった土器の絵にも、楼上に鳥が描かれているのです。
復元楼閣では、建物に作り付けられた装飾のように見えますが、
土器の絵は、飛んできた鳥が建物にとまった情景かも…。
これは本物の鳥を呼ぶための建物だったのかもしれません。
祭りのために鳥を呼ぶ建物…
古来、鳥は「天と地を結ぶもの」でありました。
鳥がいかに重視されていたかは、
同じく土器に「鳥装のシャーマン」が
描かれていることでも解ります。
実はこの「鳥装のシャーマン」も、
かねてより気になっていたものです。
まず、佐倉市の国立歴史博物館に鳥装のシャーマンの
想像図が展示されていること。
何かの本に、
これまた忌部氏の特性である麻を用いて羽を作り、
独特の祭祀を行っていたのではないか?」
というような事が書かれていたからです。
~断っておきますが、この説はある一見解で
必ずしもそうだというわけではなく、唐古鍵遺跡が
忌部氏と関わるという事では全くありません。~
この「鳥装のシャーマン」の出所が
まさに、この唐古鍵遺跡の絵画土器だったのです。
漠然と、「弥生時代の鳥装の人…」として認識していましたが、
顕著な発見があったのが唐古鍵遺跡でした。
忌部氏と関わる鳥の神を祭神とする神社が
印旛郡栄町にあります。
もしかすると古代において、ここでは鳥装のシャーマンが
活躍したのではないか?などと考えてみたりしています。
さて、唐古鍵遺跡の出土品などを展示した
「唐古鍵考古学ミュージアム」では、
更なる重要な発見がありました。
そしてまたまた「神の遣い」の御出現!
ここでは、おじさんでなく女性でした。
長くなりましたので、次回へ続きます。
※唐古鍵遺跡とは
弥生時代前期からの遺跡で、
古墳時代になると、かつての弥生集落の上に
古墳が作られます。
古代史に関するホームページを作成中です。
そちらも参考にしてください。