『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

奈良県・多神社④ 小杜神社のことと太陽祭祀のこと。

多忙につき、前回から間があいてしまい、

どこまで書いたのやら…

 

多神社の境内または隣接する小杜神社の事を

書こうとしていたのでしたね(^◇^)

 

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ご祭神は太安万侶

神社の横には、記念碑がドーンと建っています。

1979年(昭和54)に奈良県此瀬町の茶畑から

太安万侶の墓が発見されたので、

地域が盛り上がった結果、

このような記念碑が出来たのでは?と推測していますが、

あくまで推測。

記念碑の建立年は、チェックし忘れました。

 

しかし、元々の祭神は違うのではないかとする考えもあり、

私もそう考えています。

 

以前にも紹介した大和岩男氏の著述では、

小杜神社の東側の鳥居を多神社の東鳥居、

小杜神社を境内社として扱っており、

ど真ん中に三輪山が入る位置にあることから、

三輪山祭祀を意識したものではないかとしています。

小杜神社の祭神については、

また色々複雑であり、ここでは省き、三輪山に注目したいと思います。

 

多神社境内の由緒書きでは、

三輪山祭祀には触れていませんが、

大和氏は、多神社が三輪山のほぼ真東にあることを指摘しています。

そしてまた、多神社西側を流れる飛鳥川の方へ行くと、

西方に二上山を望むことが出来ます。

三輪山山頂から昇り、二上山へ沈む太陽祭祀

非常に相応しい場所に多神社はあるのです。

 

このような場所的な問題だけでなく、

多氏族は、三輪山と大きく関わっています。

なぜなら、始祖である神八井耳命の母は、

三輪山大物主神の血を引く姫だからです。

 

皇位を弟に譲り、司祭となった神八井耳命の祭祀対象は

記紀に詳しく書かれていないけれども

三輪山及び山頂から昇る太陽の祭祀を行ったのではないかと思われます。

 

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鳥居の中央に丸く見えるのが三輪山

 

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西側に二上山

 

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多神社付近の飛鳥川

 

太安万侶が、多氏族の出であり、

多神社の神官が太安万侶の末裔であることから、

どこかの時点で、

小杜神社の祭神とされるようになったのでしょうか?

確かに、古事記編纂者として著名な太安万侶を前面に出すことで、

分かりやすく親しみやすくなることは確かです。

 

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こちらも参考にしてください。

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