『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

奈良県桜井市・三輪山②

近鉄橿原線笠縫駅を降り、多神社へ向かう時には

すでに東方に三輪山の姿があったはずですが、

ここからはまだ距離もあり、

駅から多神社へは西へ進むので、

はっきりと意識して三輪山を見たのは、

多神社に隣接する小杜神社の東の鳥居からが

最初となるでしょう。

以前記事に載せましたが、その画像を再び…

この日は曇りがちであまり綺麗に撮れてないのですが     (^人^)

 

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(大和岩男氏の著作の情報から、

この鳥居の中にすっぽりと入るのが三輪山だと知っていたので、

東に見えていた綺麗な稜線の山がやはり三輪山だとわかる。)

しかし、ここから見える三輪山は、

まだまだ小さい姿です。

 

そして、翌々日に行った「唐古鍵考古学ミュージアム」。

最寄駅のJR桜井線田原本駅は三輪からも近く、

ミュージアムへは東へ向かうので、

道すがらの前方に三輪山がずっと見えていました。

 

青垣こもれる大和は、

同じくらいの山が途切れなく連なっていますが、

その中でくっきり整った稜線が際立って見える…。

なぜ三輪山だけそうなのでしょうか?

不思議です。

いやだからこそ、古代の人は神聖を感じ神奈備山とした。

大蛇が七巻きした姿。

三輪山はそのようにも言われます。

蛇神ともいわれるのは、

そういった山容にも関わるのかもしれません。

そしてその穏やかに見える山容は、実はそれだけではなかった。

よく見るとその山裾は荒々しくうねりを見せているのです。

以前「ヤマタノオロチ三輪山である。」という言葉を

聞いたことがあります。

その時は「え?なんで?」と思ったのですが、

ヤマタノオロチが天つ神に対する国つ神の象徴だとすれば、

あながち突飛とも言えない。

ましてや、記紀神話が編纂時点で

各地の伝承を継ぎ合わせて創作されたものであるらしいことを

考え合わせると、ますますあり得ることだと思います。

そして何より、実際に見た三輪山の姿。

山裾の樹木の作るうねりが、

まるで複数の腕が町の方に伸びてくるように見える様。

雨天にはもうもうと靄が立ち上り、

晴天でも日によっては、その腕の間に黒い靄がわだかまる。

 

ヤマタノオロチ三輪山なのかどうかはわかりません。

でも、現地に行ってみて、

あり得ないことではないという考えが

少し強くなったのは事実。

 

しかし、こんなことに気付いたのは何回も訪れた後のこと。

一回だけではわからなかったことです。

繰り返し言っている「現地を実際に見る大切さ」「出来れば何回も行くこと」

 

さて、田原本を訪ねた時点では、

そんなことには気づかずに、

ミュージアムの東側に大きく設けられたガラス窓から、

ただただ秀麗な山容を感慨を持って見ていました。

この後、何かわからぬ非常な引力によって、

何回も来ることになろうということも、

この時にはまだ知らない ('_')

 

ミュージアムの窓からの眺めを載せたかったのですが、

写真をとりそびれました。

撮っておけばよかったと後から気付く…

下は別の時のものです。

また、雨天の靄に煙る情景は後の記事に載せたいと思います。

 

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   大神神社摂社・神御前神社から

   神御前神社は、大物主神の神妻ヤマトトトヒモモソヒメを祀ります。

 

 

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