『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

ヤマタノオロチ異見。

f:id:hikona2:20180609002106j:plain

 

古代史を語るとき、

「出雲の謎」というものが必ず浮上して、

色々な方が取り上げて、様々に言及されています。

しかし、これまでタイトルに惹かれて読んだものは、

極端にドラマチックな解釈だったり、

センセーショナルに過ぎたり、

確かに面白くはありましたが、

思い返すと、

出雲の土地そのものについて如何に学んでいなかったかに気付く…

 

極端な解釈と思われるもの。

例えば出雲大社のご祭神が、

拝殿の参拝者に対して正面を向いておらず、

西を向いていることが殊更に誇張され、

大国主命が滅ぼされた側の神だから祟りを恐れ、

参拝時に対面しないようにしてあるとかいうことが言われたりしますが、

実は記紀によれば勝者である武甕槌命を祀る鹿島神宮も同様です。

出雲大社とは逆に北面している社殿のご祭神は、

東向きに坐しておられ、

参拝者は横顔を拝することになります。

御祭神が、南面する社殿で西を向く出雲大社と、北面する社殿で東を向く鹿島神宮は見事な対称を成しています。

この事実からこの両神社の様式は、

大和の政権の確立後に計画的になされたのだと予想できます。

その証拠に、出雲大社鹿島神宮は殆ど同じ緯度の東西にあり、

見事な計画性が感じられるのです。

東の鹿島は昇る日を、西の出雲は日没を象徴しているようです。それ故、御祭神はそちらの方角を向いている。

すごく分かりやすいではないですか?

両地域で元々前身となる神があり、

奉斎氏族が服属後に、中央政権の意向に沿った役割が与えられたのでしょう。

そして、元々の祭神の性格と昇る日のイメージから鹿島の神が華々しい勝者となり、沈む日の出雲の神は一歩退き、冥界を司る神となった。

あるいは常陸地方の方が早い時期に、政権に組み入れられたのかもしれません。

そう考えるならば、紀記の神話はやはり、各地の神々を役者とした創作です。

武甕槌命が勝者で大国主命が敗者になってはいるけれども、実際は両地域で起こったことは、経緯の違いはあれ「地方豪族の服属」という同様のものだったのでは?

実際、「武甕槌命」と「大国主命」という神名は常陸国風土記出雲国風土記には一切登場しないものです。

新しい史書や役割のために新たに創作されたのでしょうか?

因みに、古事記では更に「武甕槌」という表記はせず、一貫して「建御雷」の表記を用いていて、これはまた重要な意味を秘めているのですが、それはまた別の機会に…。

 社殿に関しては、鹿島神宮天智天皇の頃に社殿を造ったという記述が風土記にあり、同じく風土記の記述から元は別の場所だったのではと思われ、出雲大社の方は「大社のある地は新開発の地で、少なくとも古事記の成立以前に出雲大社があったとは思えない」と鳥越憲三郎氏が著書で言っています。

 この鳥越憲三郎氏の著書というのは、講談社学術文庫の『出雲神話の誕生』です。出雲地方の様相や、風土記の舞台となった地についての客観的な分析があり、有用なのですが、最初の刊行が1966年と古く、注意を要します。何故なら、あのセンセーショナルだった荒神谷遺跡の発見前だからです。

発見前と発見後では、見解は大きく変わるはず。

鳥越氏は本著書の中で「出雲は実は地方にどこにでもあったような小国」と述べていますが、荒神谷遺跡等の発見によりそれは訂正されるべきものになりました。

 

また、ごく最近読んだ高山貴久子氏の『姫神の来歴』は、これまでの紀記を元にした見解からはかけ離れた驚くべき内容でしたが、先述の“殊更にセンセーショナルな見立て“とは一線を画したものです。

何よりも著者が出来る限り現地へ足を運んで、机上の理論となっていないことに共感を覚えます。

 

その中の出雲に関する部分では、ヤマタノオロチこそ実は出雲の大王であり、記紀では敢えて怪物ということにされたものであり、クシナダヒメはその王(=神?)に仕える女性だったとする件は、ちょうど自分が以前の記事に書いた「甕に酒を入れて飲ませる部分は、本来は神祀りの光景だった…」というのと符号して、このグッドタイミングに驚きました!

高山氏はクシナダヒメを「出雲の大王の妻」としていますが、もしそれを極論と思うのならば、「大王の傍らで神に仕える巫女」としてもいいのかな?と思います。

そしてその大王を殺害し、出雲の土地を我が物としたのがスサノヲノミコトだというのも、紀記の神話や系図の矛盾点等を考えると非常に納得のいくものです。

実はこれを読む前、「出雲の大王を滅ぼしたのがスサノヲノミコトである」という同様の記述のあるブログを読み、これは一理有ることと思ってはいましたが、そこでは「スサノヲ=徐福」そして次々と名前を変えて「=二ギハヤイ」であるとも言っています。

これは斎木雲州という方の見解を元にしているようですが、斎木氏の著作はまだ読んでいませんので、今のところどう評価すべきかわかりません。読んで見なければと思います。

 

このように同要素を持つ事柄が、奇しくも同じ時期に自分に降りて来ました。

高山氏の著作はお勧めです。興味がおありでしたら是非読んでみて下さい。

ただ、続編の構想もありながら、著者は故人となってしまったようです。

とても残念に思います。

 

f:id:hikona2:20180609002202j:plain

付箋だらけ…( *´艸`)

 

古代史に関するホームページを作成中です。

こちらも参考にしてください。

iniparu.jimdo.com