三輪山山麓にて。OH 神よ!の大鳥居。
山の辺道・岩壷池付近
今回は非常に個人的な体験談であるということを
予めお伝えしておきます(  ̄▽ ̄)
今度は、狭井神社から山之辺道をたどり、
桧原神社まで行こうと思ったのです。
しかし、昼過ぎて奈良に到着し、JR桜井線で三輪駅に着き
、当然まず大神神社に参り、そうするとついつい予定以上に長居して、
それから狭井神社に移動した頃には、
結構いい時間になっていました。
狭井神社を参拝後、
~さてさて時間的にはもう夕刻と言っていい時間。
でも空はまだ明るいし、これから出発しても桧原神社まで
なんとか行けるのではないか~?
と思ってしまったのがいけなかったのです。
本当に空はまだまだ明るかった。
そして、途中の貴船神社を参拝し、その先に何やら気になる赤い鳥居。
八大龍王弁財天と掲げられている所ですが
、ここにも行ってみたので、更に時間が経ってしまいました。
※この八大龍王弁財天社ですが、この後様々な情報が入り、
色々と議論がされる問題の社だということが判りました。
これについては、また後ほど…
さすがに、空もやや暗くなって来まして、八大龍王弁財天を過ぎて少しすると、山之辺道は上を鬱蒼とした木々に覆われた山道となります。
これはやっぱり、もう無理なのではないか?と思っていると、
道はまた少し開けた場所に出ました。
右手の坂を登った所に見えるのは、玄賓庵の屋根でありましょう。
ここまで来れば、桧原神社もそう遠くないはず…。
空の見える道に出たことにより、
またまたそんな風に思ってしまったのがいけなかったのです (-.-)
落ち始めた陽というのは、本当に速い!
季節は秋ではなかったけれども、正に釣瓶落とし。
玄賓庵への坂を上っているうちに、みるみる暮れてしまいました。
そして、前方を見れば玄賓庵のその先は、
またもや木暗がりの道になるようです。
そんな道はすぐに真っ暗になってしまうでしょう。
さすがに、この日は諦めて、玄賓庵の反対側の山之辺道から外れるルートに入り、
三輪駅方面に向かったのです。
ところが、落ちる陽は加速度を増して暮れて行き、
民家のあるところに到達する前に
辺りはすっかり暗くなってしまいました。
山之辺道を外れたとは言え、農道のようなその道は
前方がどう繋がっているのかも未知。
街灯もポツリポツリとあるだけ。
こういう道って、急に先細って途中で消えてしまったり、
山の方に入っていってしまうのではないか?
さほど遠くない所に、民家の明かりらしき物が見えてはいるが、
果たしてそこへたどり着けるのか?
三輪山麓で遭難!
そんな不名誉な文字が頭に浮かんだりして、
そんなことになったら、三輪の神様に申し訳ないと思うし、
ずんずん歩きながら生きた心地がしませんでした。
そんな時、目に飛び込んで来たのが大鳥居の姿だったのです!
シルエットで浮かび上がった鳥居の姿がなんと有り難かったことか!
もう本当に「おお 神よ!」でしたよ。
見えた鳥居の位置から、
進んでいる方角は間違っていないということも判りました。
今思うと、道が町中にちゃんと繋がっているかというのが
真に重要な問題だったのですが、
鳥居が見えたことによって、何故かもう大丈夫と思ってしまった。
実際大丈夫だったので良かったが… (^-^)/
鳥居が見えて間もなく、道幅が広くなり、
ちょっとした橋を渡ると、そこはもう住宅地でした。
住宅地の端の田んぼ沿いの道を通り、
やがてJRの線路の所へ出ました。
写真は、その田んぼの所から撮影した大鳥居の姿。
oh 神よ!のお姿であります。
不鮮明な画像で申し訳ありません (´・ω・`)
この後この事を教訓に、
もう少し行けそうと思っても、
ムチャするのはやめることにしました。
何でも時間いっぱい目一杯やってしまう質なので…。
このように切り替えた事によって、
その後何回も助けられたのであります。
これも大神様からいただいた御教示と思い、感謝です。
さて、後日談。
次に訪れた時、玄賓庵下からのその道を、
明るい時間に辿ってみました。
勿論その時は、桧原神社と玄賓庵へも行けました。
すると、あの時とても長く感じた道のりは、
それほどでもなくて、住宅地への境目には素麺工場があり、
途中には果樹の植わっているような大変長閑な明るい道。
そして、一番驚いたのは、
最初に大鳥居が目に入るその地点から見える鳥居が、
思ってたよりずっと小さかったこと!
記憶の中では、とても大きなシルエットが目の前に現れたような
気がしていたのです。
その時に大きな存在であったものは、大きな姿で記憶される…
人の感覚とは不思議なものですね (゜ロ゜)
実はこの道、
その後にひょんなことから知った、
三輪山の重要箇所の近くでした。
それは大神神社の摂社「神御前神社」と
「神御前神社」の御祭神は、ヤマトトトヒモモソヒメ、。
三輪弁財天とも言われ、
ここから勧請されたものであり、
玄賓庵の境内には、「三輪弁財天」の社があります。
これらについてはまた後ほど…。
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