『古代史逍遥』dropout

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産土神探し④ 尉殿神社(西東京市住吉町)

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前回、西東京市住吉町の

尉殿神社を紹介しました。

御祭神の変遷も簡単に書きました。

 

さて、「尉殿」という珍しい社号。

これはどういう意味なのでしょうか?

確定は出来ませんが、

色々な資料を見てみると

どうやら文字は当て字で、

ジョーという音に意味が

あり、水に関係があるようです。

何故なら関東の各所に

類似音の「十殿」「承殿」「種殿」「重殿」等の神社が点在し、

いずれも水神だそうです。

 

「ジョー」は

ポルトガル語で水を表す言葉、

すなわちジョーロの「ジョー」だという考えをどこかで読みましたが、

妙に納得です。

確証は無いが何となく

「これだ!」と思ってしまいました。

社殿が造られ、

御祭神が確定されたのが

11世紀だとすると、

大いにあり得ると思います。

ではその前は

何と呼ばれていたのか…?

鎮座地周辺は「谷戸」と呼ばれる所です。

「やとの神」…

常陸国風土記に出てくる蛇の

「夜刀神」を思い出します。

「夜刀」は「谷戸」、「谷津」と

同じ言葉で、

水を湛えた谷に生息していた蛇が

夜刀神であり、

すなわち水神です。

西東京市(旧保谷市)の谷津(谷戸)の神が

後にジョードノと呼ばれるようになったとすると、元は蛇神かもしれません。

後世、本地を倶利伽羅不動明王とし、

垂迹神に龍田の風神を

持ってきたのも頷けます。

倶利伽羅不動明王とは、

剣に龍が巻きついた形ですし、

龍田の風神は龍神なのです。

双方、蛇神の面影を宿しています。

「谷津」と言えば、

水戸市の立野神社の鎮座地も

谷津町でした。

 

さて、「ジョー」が音に意味があるとして、

何故「尉」の文字が当てられたのでしょう。

それはおそらく

神社に「尉面」(能の翁の面)が伝わることによるかと思われます。

謂れは定かではありません。

しかし、この尉面から

一時期とんでもない展開になったのです。

「尉面なら、御祭神は住吉の神であろう」と思われて、

住吉神社とされていた時期があったそうです。

住吉の神はたいてい「翁」で表されるので…。

現在の鎮座地の住所が「住吉町」なのはその名残です。

 

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 拝殿の扉

 

尉殿神社は一度移転しています。

現在の田無第二中の辺りが

元の鎮座地で、

その近くの宝晃院が別当寺でした。

宝晃院には神仏習合時代の

尉殿権現のご神体である

倶利伽羅不動明王像が

安置されているそうです。

宝晃院にはまだ参っていないので、

今度行ってみようと思います。

でも、倶利伽羅不動明王像は

見ることが出来ないんだろうなぁ   

( •́ •̀ )

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  西東京市文化財のパンフレットより

  御神体倶利伽羅不動明王

 

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 山茶花の頃
 

余談だが、

「ジョー」「ジョー」と連呼していると

どうしても「ジョー!立つんだジョー!」と

あしたのジョー』のセリフが浮かんで…

( ̄▽ ̄)

(脱線すみません "(-""-)" )

 

 

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