『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

奈良県桜井市・三輪山

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  三輪山・山の辺の道、岩壷池付近から

 

2月は、とうとう一つも更新せず…

何かしら多忙であったのもありますが、

いよいよ三輪山について書こうと構えると

何から書いて良いかわからなくなり

手つかずとなっていました ( 一一)

 

しかし、昨年の春に奈良を訪れちょうど一年がたち

そろそろ取りかからなければと思う。

奈良へは一回では足りず数回足を運んでしまいました。

(実際のところ、何回行っても足りないでしょう)

 

大神神社周辺へは毎回訪れて、

三輪山登拝も決行!

様々な経験、情報、感覚が洪水のように溢れて

やはり何から書いてよいのかわからない。

そこは細かいことは考えずに、

時系列で行くのがよいかと思いついたところであります。

 

段取りがようやく付いてきたところで

とりあえずこの回は、何故三輪山か…という事を述べて

次から本番ということとします。

 

私は目下、下総国は印波国の古代史を調べていますが、

そこの開拓者が多氏族と言われていて、

その多氏族の近畿での本拠地が以前の記事で書いた多神社です。

記事にも書いた通り、

多神社は非常に三輪山を意識した位置にあります。

また、多氏族の祖である神八井耳命の母は

姫蹈鞴五十鈴姫命で、

三輪山大物主神の娘とされています。

 

三輪山大物主神は、記紀大国主命とのつながりが語られるため、

それと崇神紀の祟り神の印象が強いのですが、

本来は、奈良盆地の東に位置し、

そこから昇る太陽信仰に関わる神です。

また、大物主神は蛇神ともされ、

蛇と太陽祭祀の関係は吉野裕子氏が著作中で述べています。

 

さて、東国の多氏族の一派である常陸国の仲国造の祖

建借馬命は、天照大神を奉斎したとされますが、

天照大神というのは、時代が下ってからそうなったもので、

元々は自らの氏族の始祖に繋がる三輪山の神を奉じて

東遷したのだろうと思います。

 

こんなわけで、奈良ではまず多神社と三輪山が外せない!

一回はこの目で見なければと思いつつ

失業中(実は昨年は失業中だったのです)の今しか行けないと思い、

何回も行ってしまいました(´・ω・`)

失業中のくせに貯えも減りましたが、

やはりこれはこの時行っておかなければならなかったのだと

確信しています。

 

上述の建借馬命などに関する詳細はホームページを

ご覧下さい。

iniparu.jimdo.com