『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

風神を訪ねて ① 龍田大社(奈良県三郷町)

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産土神が風神様だとわかったので、

やはり、その総本宮

龍田大社

参拝しない訳にはいかない!

 

その頃、年に1、2度は

奈良方面を

訪れていたので、

その年の5月に予定していた

3日間の奈良行きの

最終日に

参拝予定を入れました。

この奈良行きは

数ヶ月前から

予定していて、

訪問場所はもう決まっており、

最終日が少し空いたので、

最終日くらいあくせくせずに

以前から気になっていた

大神神社での

写典をやってみようかな?

と思っていたのです。

(写典とは、祝詞を書写する、

お寺の写経のようなものです。)

しかし、その後に

産土神の発見があり、

最終日の予定は

迷い無く龍田大社行きと

なりました。

写典もいずれやってみたいですが、

本年突然勃発した

感染症騒ぎで

しばらく遠出は

出来なそう (´・-・`)

 

ただ、龍田大社への参拝も

そのうち…とかのんびりしていたら

相当先に伸びてしまったと思うので、

グッドタイミングで

目の前に現れてくれました。

さすが風神!!

突然現れて

そのおかげで予定が決まったり

変更になったりしたのは、

この後にもありました。

面白いですね  ( ᷇ᵕ ᷆ )  

 

また先に触れた

今年2020年のCovid-19感染症

そのおかげ…

とは言いにくいですが、

この騒ぎがあって

古代史を考える上で

初めて気付いた事も

ありました。

なんとそれは

大神神社龍田大社

関わる事であります。

しかし、これを書き始めると

長くなるので

また次回  (^o^)o

 

ここでは龍田大社の概要を

記したいと思います。

 

申し訳ありませんが、

龍田大社ホームページより

コピペです (^^;)

※青字の部分がコピペです。

 

創建

今から約2100年前、

第十代・崇神天皇(すじんてんのう)の時代、

国内に凶作や疫病が流行し

騒然としているなか、

天皇の御夢に大神様が現れ

「吾が宮を朝日の日向かう処、

夕日の日隠る処の

龍田の立野の小野に

定めまつりて…」という御神託を

授けられました。

その通りにお社を造営すると、

作物は豊作、

疫病は退散したと伝えられ、

これが当社の創建とされています。
延喜式・龍田風神祭祝詞より>

 

主祭神

御柱大神

(あめのみはしらのおおかみ)

(別名:志那都比古神

(しなつひこのかみ))
御柱大神

(くにのみはしらのおおかみ)

(別名:志那都比売神

(しなつひめのかみ))


また、摂社として

龍田比古命(たつたひこのみこと)・

龍田比売命(たつたひめのみこと)

のお社が

瑞垣に囲まれた

本殿との同敷地内にあります。

 

ホームページには

次のような記載が

ありました。

 

「龍田」の地名は古く、

初代神武天皇即位の頃まで

さかのぼり、

龍田地区を守護されていた

氏神様と伝えられる

夫婦の神様です。
延喜式神名帳より〉

 

 

龍田大社は最初

現在の社地の

西方にある

三室山に鎮座

されていたそうです。
斑鳩の三室山が

有名のようですが、

ここで言う三室山は、

龍田大社の近くにある山です。

「みむろ山」又は「みもろ山」

と言うと、三輪山

異称として知られていますが、

この名称の山は幾つもあり、

いずれも

神の降臨される

神奈備山となっています。

固有名詞では無いことが

分かります。)

 

また、龍田大社の神様が

御降臨されたのは 

三室山より

更に西へ行ったところの

龍田山にある

御座峰とされています。

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龍田大社と三室山及び龍田山

最寄り駅は、JR大和路線

三郷駅です。

改札を出ると

ユーモラスな風神様が

お迎えしてくれました。

風邪薬○○のキャラクターに

似ています  (^○^)

あの風邪薬、

今はこのキャラクター

使ってないのかな?

 

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