『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

船橋市飯山満にて…鳩の絵と鳩の森八幡神社。そして、白い蛇。

ゆるぎ地蔵の堂宇の後ろの高台に鎮座する

八幡神社に鳩の絵が置かれていました。

f:id:hikona2:20170918025625j:plain

飯山満八幡神社の鳩の絵

即座に思い出したのは、

千駄ヶ谷にある鳩の森八幡です。

鳩の森八幡神社の由緒は次のとおり。

“ここは、往古より瑞雲の生じる所であったが、

ある時不思議な白雲が現れた。村民が怪しんで

その下の林に行ってみると、白鳩の群れが

西を指して飛び去った。

そこでここに小祠を設け

「鳩の森」名付けた。

これは、神亀年間(724~729年)のことであり、

その後の貞観2年(860年)に、

円仁が神功皇后及び応神天皇、春日明神の

尊像を造り、安置したことから

八幡宮と呼ばれるようになった。”

下が鳩の森八幡神社の画像です。

ここが正面かと思って入ったのですが、

これは、裏参道の北の鳥居でした。

f:id:hikona2:20171003062923j:plain

 

拝殿

f:id:hikona2:20171003062942j:plain

 

さて、ここは戦時中に

ひふみ神示の自動手記で有名な

岡本天明が、一時期頼まれて

留守神主をしていたところです。

 ひふみ神示は、「日月神示」と書かれますが、

  自分は思うところありて「ひふみ」と

  表記させていただきます。

そして実は、今自分の最大の関心事である

古代印波国の最も重要な神社が、

岡本天明に神示が下りた現場である

成田市麻賀多神社なのです。

 

ちょっとややこしいので整理します。

①位置的な問題や立地から

自分は、麻賀多神社と飯山満八幡神社

無関係ではないのではないかと

思っている。

麻賀多神社と鳩の森八幡神社

岡本天明を通じて関連がある。

③飯山満八幡神社に、

鳩の森八幡を連想させる「鳩の絵」があった。

 

ただ、飯山満八幡神社の絵は、

たまたま近隣に、鳩の森八幡の信奉者がいて、

地元にも八幡神社があるということで、

鳩の絵を置いただけのことかもしれません。

 

しかし、それがあったということ、

しかも、飯山満再訪の直前に

私は、たまたま鳩の森八幡を訪ねていたのです。

 

これにはついつい、偶然以上の何物かを

感じてしまいます。

 

更に、鳩の森八幡を参拝した理由はこうです。

能の演目『三輪』をどうしても見たくて、

始めて国立能楽堂へ行ったのですが、

調べてみると、

鳩の森八幡は、すぐそばではありませんか!

もとより、ここにはそのうち行きたいと

思っていたのですから、

行かないわけがないのでした。

 

そして、きっかけが能の『三輪』というのが、

また絶妙でした。

なぜなら、三輪山もまた

多氏族と大いに関連があます。

麻賀多神社の創建者は、多氏族の印波国造です。

三輪山信仰について調べたり、

大神神社に参拝したりするうちに、

能『三輪』の事を知り、

ぜひ見たいと思っていたところ、

国立能楽堂での上演があると知って

足を運んだのでした。

 

そして、三輪の大物主神は、白蛇でもある…。

飯山満では、その白蛇にも出会ったのです。

八幡神社の下にある弁天堂です。

社殿の正面に置かれた白蛇の絵。

※ただし、弁天堂の白蛇が表すのは、

弁才天ですから、

描かれているのは、可愛らしいとも言える

白蛇です。

f:id:hikona2:20170918030318j:plain

弁天堂の白蛇の絵

 

 このように、飯山満では、

様々な連鎖が起こってしまい、

ただ懐かしいばかりでなく、

個人的に大変印象深い訪問となりました。

 

古代史に関するホームページを作成中です。

参考にしてください。

iniparu.jimdo.com