『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

縄文時代から続く蛇の紋様。土器、装飾古墳、隼人の盾、そして墨書の謎の記号。

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火焔土器


吉野裕子氏の著作『蛇』に、

古代には熱狂的な蛇信仰があって、

装飾古墳の文様や、隼人の盾

人物埴輪の衣服の文様にも

蛇を表現するものがあると

書かれている。

それは、同心円文鋸歯文

三角文蕨手文双極文などである。

その伝統は、縄文時代にも遡り、

極度に装飾の施された

土器の文様にも見出せる。

そして、縄文時代の蛇信仰の

熱烈さ加減は、

頭に蛇を乗せた土偶の存在から

窺い知ることが出来るという。

確かに、そういう土偶を見たことがある。

著作の図版にもイラストが

載せられていたが、

他にもあったはず!

そして何よりも、

装飾古墳や埴輪巫女の衣装の紋様が

蛇を表し、縄文時代から連綿とつながるものだとは!

縄文から弥生への移行は、

やはり急激なものではなく、

古来の精神性も充分残しながらの

ゆっくりとしたものだったのであろう。

 

そして、これらの文様のうちの

双極文が、私は非常に気になった。

なぜなら、近隣の遺跡から

謎の記号が書かれた墨書土器が

出ているからである。

墨書土器は、主に平安時代

なってからのものだが、

東国で装飾古墳の造営された時代とは

さほど離れない時代でもある。

その記号は、8を横にしたような

又は、無限の記号に似ているもので、

が最も近い。

双極文が、ここでは表示できないが、

「∽」は、双極文の内側へ向かう渦巻が

簡略化されているように見える。

これは、蛇又は龍を表すのではないのか

印旛沼は龍伝説の地である。

これは、印旛郡を表す記号なのでは?

   ※  双極文の形状は、冒頭及び下の画像の

         縄文土器の文様で見る事が出来ます。

 

千葉県市川市国府の遺跡からは、

下総国各郡から集まったと思われる墨書土器

多数出土して、「印」と書かれたものが、

印旛郡から持ち込まれたものだと思われる。

国府にそういうものが集まるとすれば、

それらは現地で作成して、

国衙へ運んだのであろう。

その時、自分らの地域の記しを付けたのだ。

国府跡からは、「∽」の書かれたものは出ていないが、

くねくねした線の、これまた謎の記号土器が

発見されていて、

これもまた蛇のようではないか!

そしてそれらの土器は、どうやら

所謂「水辺の祭祀」に使われたらしい。

蛇は水を司るものである。

印旛を表す「印」の文字の土器が出ているが、

漢字を用いる場合と記号を用いる場合の

2パターンあったとしてもおかしくはない。

 

そんなことを思いついて、

1人エキサイトしていた時、

奇しくも時を同じくして、

國學院大學博物館の展示を

見る機会があった。

そうしたら、あるではありませんか!

 

火焔土器王冠型土器

土偶も数ある中で

ちょうど頭に蛇を乗せた人が!

火焔土器や王冠型土器には、

双極文がはっきりと造形されていた。

 

これらのものは、これまでも

当然見る機会があったのだが、

やはり漠然と見ていて、

今回のように、

具体的な意識をもって見ると

全然違うものである。

 

前述の印旛の謎の記号に関する自らの言は、

何ら確証があるわけでなく、

これから解明されるのかどうか

わかりませんが、

今回見た展示物は

冒頭の火焔土器の他は次の通り ⇩

 

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        王冠型土器

 

火焔土器、王冠型土器共に、中段より下部に

双極文が見える。

全体の造形も、曲線をふんだんに用いた

蛇を思わせるものだ。

 

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頭上の蛇は横から見ると、ちゃんと目も

造形されている。

 

因みに、印旛沼周辺の

文字入り土器の主な出土地は、

成田市船形手黒遺跡、

佐倉市高岡遺跡など。

 船形手黒遺跡の詳細はこちら

 

 

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