『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

奈良県 多神社① ご祭神のことなどなど

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多神社は、正式名称「多坐弥志理都比古神社」といい、

多氏族の近畿における本拠地です。

印波国造は多氏族なので、

奈良へ行くと真っ先にここへ来ました。

最寄り駅は、近鉄橿原線笠縫駅

駅の南西、飛鳥川のほとりに鎮座します。

弥志理都比古(ミシリツヒコ)とは、

多氏族の始祖である神武天皇の長子神八井耳命のこと。

ミシリツの意味については、

皇位を弟に譲ったことから「退く」の意味だとか、

「水を知る」の意だとして、

治水の技術に長けた人物だったから…などなど。

しかしどちらもいまいちしっくり来ないような気もします。

特に「退く」の方は無理矢理感が強い。

その点「水を知る」の方が、

皇位を譲って、自らは司祭となった人物として

頷けるものはあります。

別名に「井」の文字があることにも符号します。

しかし、これは今では意味の分からなくなってしまった

古代の言葉なのではないかという気もします。

そういう言葉は、かなり多いのではないでしょうか?

そして、それらは縄文語だったりするのでは?

地名などには、よく変ったものがあって、

それらはアイヌ語だと言われたりします。

アイヌ縄文人という

単純な図式は成り立たないとはいえ、

列島の北端と南端に

縄文の文化が色濃く残ったのは

自然なことといえるかもしれません。

 

さて、「ミシリツ」がそこまで遡る言葉かどうかは

わかりませんが、

多神社の境内自体が弥生時代の集落遺跡なので、

かなり古い言葉が残っている可能性が

あります。

 

また神八井耳命を始祖とする多氏族のルーツも

定かではなく、

本拠地も、近畿に多神社があるものの

九州地方に多氏系の国造が多く輩出し、

元々はどちらが基盤なのかは不明です。

また、渡来系との見方も頷けるものがあります。

 ※ただ、「渡来人」という言葉。

  非常にあいまいです。

  日本列島全部が渡来人とも

  言えるわけなので…。

  どの時期にどこから来たのかが

  問題になるだけ。

 

御祭神は、境内掲示板によると、

神八井耳命の他に

神武天皇、神沼河耳命、姫御神。

姫御神が媛蹈鞴五十鈴姫命だとすれば、

言わば「神武天皇ファミリー」でありますね。

おっと!しかしもう一名。

太安万侶の名が…。

社殿は、春日大社と同じく、

四棟の本殿が並ぶ形なのに一名多い。

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実は、太安万侶も多氏族で

多神社宮司はその末裔。

お名前も「多さん」です。

1979年に、奈良市内の茶畑から

太安万侶のお墓が見つかったこともあり、

太安万侶は後からご祭神に

列せられたのでは?

と推測しますが…。

 

でも本殿は四棟。

1人あぶれてしまうよ。

でも安万侶氏いましたよ。

拝殿前に立ってました(^◇^)

???

答えは次回。

 

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