三輪山。 小雨、霧、幽玄。そして、ヤマタノオロチのこと。
自分が100%肯定しているわけではありません。
ただ、それも大いにあり得ると思い始めてはいます。
今回は、その考えを更に後押しした三輪山の姿を紹介します。
昨年10月、小雨の中の三輪山。JR桜井線三輪駅から撮影。
頂上に霧がかかり、
麓からは、もうもうとした蒸気が立ち上っている。
いつもの穏やかな山容とはまた違った印象となります。
そして、麓の樹木が織りなす起伏により
山から何本もの腕が伸びるように見える様子。
これらが相まって、
いくつもの首があるおろちのイメージに限りなく近づくのでした。
麓の樹木の様子のよくわかる適切な写真が無いのですが、
下の写真で少し様子がうかがえると思います。
神話のヤマタノオロチの正体は、
氾濫する川という説あり。
敵対勢力がいて、彼等の旗印が龍蛇神だったのだという説あり。
しかし記紀の表現では、山に見えます。
~松柏、背上に生いて(日本書紀)
~その身に蘿と檜椙生い(古事記)
筋立てとしては、氾濫する川を、治水の技術によって治める話(舞台を出雲とすると、それは斐伊川)だとするのが最も妥当かと思いますが、
記紀神話が、各地の様々な伝承を継ぎ合わせて創作されているとすれば、
三つの説、どれも正解では?という気がします。
色々な要素を集めて「治水の話」にまとめ上げたというのが真相かもしれません。
因みに、酒を用意する行為が、
記紀神話では怪物退治のためのものになってしまっていますが、
本来は、神を鎮める為にお神酒を捧げる祭祀行為が原型にあるのではないかと思います。
そう思うヒントは、常陽芸文センター発行『常陸国風土記』にありました。
信太郡の開拓時の「夜刀の神」の記事に関する解説です。
これに関しては、また後日。
古代史に関するホームページを作成中です。
こちらも参考にしてください。