『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

大神神社摂社・狭井神社

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  狭井神社拝殿

 

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  大神神社から狭井神社への道


大神神社から山辺の道を北へ進むと

摂社の狭井神社があります。

山辺の道もここまでは、

大神神社の境内と言ってもよい道です。

 

正式名は狭井坐大神荒魂(さいにますおおみわあらみたま)神社で、

主祭神は「大神荒魂神」。

そしてその本源は拝殿左奥の霊泉で、

飲めばあらゆる病も癒えるという…。

〝万物(よろずもの)の病もたちどころに祓い清め…〟

龍神祝詞の一節が思い浮かぶ。

 

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 御霊泉汲み場

 

そして、4月には鎮花祭が行われることから

別名「花鎮社」とも言われますが、

その意味は、

花の季節に厄神が疫厄をばらまくので

それを鎮めるための祭礼です。

ここは心身に降りかかる厄病を祓うことを

祈願するお社なのです。

大神神社も医薬の神とされる大己貴神少彦名神を配神として

御神徳を同じくしています。

 

狭井神社のその他の御祭神は

大物主大神、姫蹈鞴五十鈴姫命、勢夜陀多良比売事代主命

大物主神を中心とする所謂三輪系神話の面々ですね。

おそらく、この霊泉を守っていたのが

出雲を出自とする姫蹈鞴五十鈴姫命の一族で、

彼らは薬草等の知識も豊富であった…。

神武天皇はその一族との提携を計り、

姫蹈鞴五十鈴姫命を后妃に迎えました。

彼らの医療技術、古くからこの地を治めていたという

堅牢な基盤が是非とも必要だったのです。

そんな古代の風景も

思い浮かべることの出来る狭井神社なのであります  (^^)d

 

狭井神社の拝殿横に三輪山への登拝口があります。

300円をお納めして、襷と杖をお借りして入山します。

一度登拝させて頂き、毎年一回は登りたい!

と思ったものの、なかなか難しいです。(´・ω・`)

機会を見つけてまた登りたいと思います。

 

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狭井神社を過ぎると、山の辺道は道幅も狭まり、

玄賓庵や檜原神社へ向かいます。

 

 

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箸墓 画像集

この回は、箸墓を訪れた時の写真です。

たくさんあります (^_^)/

一部は前回の記事とだぶります。

 

1回目(実は初めてではなかったのですが…)は生憎の小雨でしたが、それが思いもかけず功を奏して、三輪山と箸墓の誠に幽玄な写真が撮れました。

晴れも良し、小雨もまた良しです。

 

  以下三枚。小雨降る日の箸墓と三輪山

 

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  雨の上がった二日後に撮影。

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  纏向遺跡からの箸墓

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  国道169号線から。三輪山と箸墓。

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JR桜井線に乗ると、三輪駅と巻向駅の間で箸墓がすぐ近くに見えます。

なので、最初は他の予定もたくさんあったこともあり、電車からこんなに良く見えるのだから、それで見たことにしようかな…とか思ったりしていました。

しかし、それはとんでもない間違えでした。

次に訪れた時に、やはり降りて見るべきだと思い、電車を降りたのです。

本当に、降りてこの地に立たなければ分からなかった!

箸墓から三輪山二上山がどのように見えるか…。

そして、その土地全体から伝わって来る気配。

電車から見ていただけでは、何も分からなかったと痛感したのです。

これから、箸墓を見ようと思っている皆さん。電車から見えるからと言って満足せず、必ず現地に足を運ぶ事をお勧めします 

!( ̄- ̄)ゞ

 

 

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倭迹迹日百襲姫命と三輪神の神話

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  箸墓全景(北西側から)

 

前回の記事の末尾に「倭迹迹日百襲姫命三輪山の神の話の感想」を次回に書くと言いながら、すっかり忘れてだいぶ日にちが経ってしまいました (^_^;)

さて、なんだっけ?

前回は日食と邪馬台国の話に言及し、長々となってしまったのでしたが…。

 

今回のは、他愛もない個人の感想と思っていただければ幸いです (^^)v

 

古事記のこの部分を読むと、

三輪の神ったらちょっと驚いたくらいでキレて何なの?

もう少し寛大でもいいのにねぇ…とつい思ってしまうんですが、

前回書いたように、もしこれが日食を表す神話だとしたら、

神が怒らずに、

「なんだよー。このくらいで驚いて。わざわざ怖くなさそうな小蛇になったのに、しょうがないなぁ」と言い、

空に昇らず、倭迹迹日百襲姫命と朝ごはんかなんか食べていたら話が進まないわけで…。

なので、強引に空にかけ昇る展開にしてしまったために、こんな短気な神様みたいになってしまったのでしょう。

ということは、「この不自然さからしても、これは日食神話に違いない!」

とこれまた無理やりにそっち方向に持って行ってしまいたいところですが、それは置いといて、

この「小蛇」というのがまた気になるわけですね。

三輪の神が蛇ならば、大蛇のはず。

蛇がとぐろを巻いて七巻きしたのが三輪山である…という話もあるし。

「小蛇」に関しては、

何か難しい理由を述べている著作もあったかと思うのですが(何に書いてあったのか忘れました)、

私としては、

これは神の優しさではないかと…

大蛇だったら、驚き怖がることは必至である。でも、正体を明かすと言ったからには、嘘の姿ではダメ…。

そうだ!蛇でも小さければ、怖がらないに違いない!

と、優しい三輪の神様はお考えになったのです。

本当に優しいんですよ。

三輪の神様は!

 

しかし、姫は驚いてしまいました。

しかも、よりによってそのせいで死んでしまったのです!

 

悲しんだ神様は、

彼女の墓を作るのに一役買いました。

箸墓は、夜は神が作ったのです。

本当に激怒したなら、

こういうことはしないでしょう。

 

さて、この箸墓築造の記述のもう1つのキーワードは二上山です。

墓に用いる石は二上山から運んだのです。それは、人々が手渡しで運びました。

 

何故二上山なのか…

それは、太陽信仰において、三輪山と対になる山だからです。

箸墓の被葬者は定かではありません。

倭迹迹日百襲姫命の墳墓だというのも伝説の域を出ないものです。

しかしながら、

三輪山二上山の太陽信仰に関わった者の墓域であることに間違いないと思います。

 

箸墓のほとりに立つとそれが良く解る。

二つの御山の間に位置し、

三輪山に寄り添うように横たわる箸墓。

 

そして被葬者は必ず女性である!という直感。

直感…これは学問的にはNGなのですが、

私はその時、現地でわけのわからない確信をしたのでありました。

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  三輪山と箸墓後円部

 

 

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大神神社摂社・神御前神社

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神御前神社は、

桜井市茅原の三輪山の麓にあります。

大神神社の摂社ですが、

神社からは少し離れて、

山之辺の道からも反れているので、

この社の存在は不覚にも

知らなかったのです。

御祭神は倭迹迹日百襲姫命

大物主神の神妻です。

こんな重要なお宮を知らなかったとは!

不覚であります(○_○)!!

 

さて、それなのに何故ここを知ることが出来たかというと、

前回の投稿で紹介した茶店の「花もり」のご主人に

この近くにある「富士、厳島神社」の事を教えてもらったので訪れたところ、「神御前神社」も発見したのです。

 

倭迹迹日百襲姫命大物主神との逸話や、箸墓古墳が彼女の墓所とされていることは、今さら語るまでもないと思いますが、それに関して自分の思うところを二三述べてみようと思います。

これは、なるべく気楽に書こうと思って始めたブログなので、

思い付くままランダムな列挙です(^_^;)

 

お姿が見たいという姫の願いを聞いて

神は小蛇の姿で

櫛笥の中に入っていましたが、

それを見たヒメは驚いて

悲鳴をあげてしまいます。

神は自分に恥をかかせたと言って、

「大虚(おおぞら)を践(ほ)みて、御緒山に登ります。」←「」内は日本書紀の文章。

 

この「大虚を践みて」が気になりました。

姫の居室から神は空へとかけあがり、

姿を消したのです。

三輪山の神が、

元々は原初的な太陽神であったことは、

以前も書きましたが、

神話のこの部分の描写は、

太陽が隠れてしまったこと…

すなわち日食を表しているのではないかと

考え始めています。

そこで自ずから脳裏に浮かぶのが、

松本清張氏の示唆的な見解。

邪馬台国卑弥呼が没したとされる頃に

日食があり、それが彼女の死に関係しているのではないか…という考えです。

その頃、実際に日食があったようです。

二年続けてあったとも…。

また、一回は日没日食だったとも…。

日没日食!

古代の人々にとって、それはなんと恐ろしいことだったか!

昼の日食なら、太陽は数分で姿を現します。

しかし、日没日食は黒くなった太陽がそのまま沈んでしまうのです。

もう永遠に暗闇が続くのかもしれない恐怖に包まれたことでしょう。

朝になって、いつものように太陽が昇るのを見た人々の喜びは、現代人の想像を遥かに越えるものだったに違いありません。

しかし、その時には日神を祀る巫女はこの世にありませんでした。

何故なら、太陽が消えてしまったことは、

巫女の神祀りの失敗とされるはず。

巫女は責任をとって自害。

松本清張氏は、「殺害されたのでは?」と言っていたとも記憶します。

 

倭迹迹日百襲姫命=卑弥呼説。

これは難し過ぎて、正否を断言出来るものではありません。

しかし、松本清張氏の卓見と、神話に日食を思わせる記述があること。

更に、大和政権以前の三輪山祭祀が、太陽神を祀るものだっったとしたら、それは邪馬台国の時代に符合します。

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     三輪山と神御前神社の社殿
 

 

 

最初、自分は邪馬台国九州説をとっていましたが、現在は近畿説に傾いていることを申し上げておきます。

それは、以下のような理由ですが、上記の日食の件も加わり、それは強化されました。

 

理由①  魏史倭人伝が書かれた頃の中国地図は正確ではなく、日本列島がもっと南北に長く描かれていたと聞きました。そうすると、これまで再三議論に上がり、その通りに進むと鹿児島沖に突き抜けてしまうとされていた邪馬台国までの行程が謎ではなくなります。伊都国から、瀬戸内海等を経て近畿へと至る行程となります。

理由② 国の都は大陸と行き来しやすい九州が妥当と思っていましたが、連合国である邪馬台国は広範であったはずで、それならば便利だけども侵略もされやすい九州ではなく、主要部はもっと内陸に置いたのではないかと思ったこと。海外との窓口である九州には、ちゃんと国の重要な機関が設けられていました。それが伊都国の一大率です。

邪馬台国に関しては「女王の都するところ」だけが重要視されやすく、九州ではないと言えば、九州の方はガッカリされるのでしょうが、そんなことはないと思います。九州は海外への窓口として発展し、もしかすると文化的には都よりも先進地域だったかもしれません。現代においても、私は福岡にそういうイメージを持っているのですが、どうでしょうか?

 

倭迹迹日百襲姫命大物主神の神話について、また別の感想を書こうと思っていたのですが、邪馬台国の話でとても長くなってしまったので、次回に回します \(__)

ほんとはそっちをメインに書く予定だったんですわ~。

「実は優しい三輪の神」のお話として…。

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  茅原付近から大神神社大鳥居を見る。

 

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奈良県 三輪山山麓 「玄賓庵」のこと

玄賓庵境内の神域・八大龍王三輪山弁財天の社

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能の演目「三輪」の舞台である玄賓庵を訪れた記録です。(訪れたのは5月でした。)

大神神社境内から山之辺の道を北へ辿り、、狭井神社を過ぎると、道は細い山道となります。

狭井川を渡り、左に「花もり」という茶店

ここのご主人からは色々な事を教えていただきました。

近くの八大龍王弁財天(玄賓庵の境内にある八大龍王とは別物です)は、

大神神社とは無関係で、何やら曰く付きの物であること。

確かに大神神社の案内図にここは一切載っておらず、

訪ねてみた感じでは、何かの新興宗教のにおいがしました。

玄賓庵に八大龍王と弁財天があることから、

双方から名を取ったものだと思われます。

そして、5月頃に咲く銀竜草のこと。

銀竜草は、普通はもっと標高の高い所に咲くものなのに、何故か三輪山麓の、特に崇神天皇を祀る天皇社の付近に咲くのです。

それが、5月半ばの今、ちょうど見られるということは、ここで教えてもらうまで知りませんでした。

     (この時点で、花もりの御主人を、恒例の「神の遣い」と勝手に認定!(^_^)/)

 

しかし、その詳細は後日にして、

この回は玄賓庵の紹介です。

 

奥に八大龍王弁財天のある岩坪(壺)池の辺りは、左右に繁る樹木が無くなり、

明るい空間が広がりますが、

ここを過ぎると再び小暗い道に入ります。

そして、次に視界が開けると、

左右に伸びる道があり、

右手が玄賓庵へと続く山之辺の道です、

石のゴロゴロした坂を上がって、

玄賓庵に到着です。

 

堂内の拝観も出来ると聞いていましたが、

人の気配もなくてわかりませんでした。

古色の漂う境内…

苔むした鳥居や石仏…

境内中央の護摩壇のある建物…

玄賓庵は、

神仏習合の色濃い不思議な空間でした。

以前はもっと三輪山寄りにあったこと、

玄賓僧都の経歴など、

書くべきことは色々ありますが、

とりあえず画像で雰囲気をお伝えします。。

 

 

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本堂と境内

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八大龍王

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十三重塔(鳥居が設けられて、どっぷり神仏習合の様相)

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三輪山弁財天(本宮は、茅原にある大神神社末社の富士厳島神社だと思います)

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境内中央にある護摩壇のある建物

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護摩壇(尊格は三輪山弁財天、三輪山八大龍王三輪山稲荷天。いわゆる神道護摩壇というものでしょう)

説明を見ると、ここでは八大龍王を八臂弁財天としているようです。

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奥の神域と対照的な整然と整えられた庭。

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海亀?

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ある夢の記録



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   成田市船形麻賀多神社境内・金毘羅神社

 

印象的な夢を見たので、奈良紀行を中断して、防備録として記します。

 

その前に、夢に出てきた場所について少し…。 

そこは千葉県成田市船形の麻賀多神社です。

その隣にある終末期方墳。

古墳中腹に金比羅神社がありますが、

そこが夢に出てきた場所です。

目覚めてから、これはかつてその場所にあった伊都許利神社なのではないかと思い、それはとても重要な事なので、忘れないようにここに記録したのです。

 

「伊都許利神社」は、昭和50年代に刊行された『千葉県神社名鑑』にもあり、社殿の写真も掲載されています。それがいつしか、境内社だった金比羅神社の方が前面に出たようです。

現在の社殿は石宮ですが、その回りにかつての伊都許利神社の物と思われる基壇の跡が見られます。

「伊都許利」とは印波国造伊都許利命の事で、この地域の古代の開拓者です。

その名を冠する神社が無くなってしまったのはとても残念(T_T)

金比羅神社もいいんですが、

この地の古代史への入口となる名称は

残して欲しかったと常々思っているのです。

 

   『千葉県神社名鑑』の伊都許利神社の記載です。
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夢~場面①

目が覚めると朝日に照らされた小さな祠が見えました。

(自分はそれを斜め上から見ている。)

年季の入った木の祠です。

それは、神社の境内にある古墳の中腹にある金比羅神社のある辺りのようでした。

(現在の金比羅神社は、石のお宮です。)

祠は小さいながら、階や欄干なども作られて、彫刻で細かい装飾なども施されているようでした。

光はちょうど祠に射して、辺りは柔らかい光に包まれていました。

 

~場面②

急に情景の角度が替わり、先のお宮の奥に空間が現れました。

実際の金比羅神社の脇に石宮が幾つか並んでいるところがありますが、それはその辺りのようでした。

しかし、空間はもっと広く広がって、先の祠と同じような祠がもう1つ見えました。

石宮達の背は、古墳の墳丘にもたれるようになっていますがそれは実際の状況と同じです。

でも、夢の中の古墳は、土のむき出しではなく、白茶けた色の何かで覆われていて、コンクリートで固められてしまったのかと思いましたがそうではなく、もっと柔らかい何かなのでした。

自分のいるところがどこなのが不明ですが、脇に窓枠のようなものがあり、そこがキラキラ光っているのでよく見ると、それはうっすら積もった雪のようでした。

ああ今朝は少し雪が降ったんだ…と思ったところで、夢は終わりました。

 

『千葉県神社名鑑』掲載の社殿は、夢に出てきた物とは少し違いますが、夢の場所は確かにその場所であり、淡い光に包まれたその光景は、目覚めた後も大変重要な物として深く脳裏に刻まれました。

 

繰り返しますが、これはただ自身の防備録です。

夢の部分は非常に個人的な内容ですが、かつて伊都許利という名の神社があったということを多くの方に知って頂きたいのです 。

!( ̄- ̄)ゞ


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古墳は、伊都許利命の墳墓であると伝承されて来ましたが、

年代的には初代国造とは年代の合わない7世紀のものです。

なので、「伝」という文字を付けて紹介されています。

しかし、国造の末裔、

もしくはこの地で多大な影響力を持った者の

墳墓であることは間違いありません。

 

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能『三輪』のこと

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前回の記事で触れた能の演目「三輪」について言及しようと思います。

先ずはあらすじ  ↓

三輪山の麓で庵を結んでいた僧玄賓の許へ、

仏に供える水を持ってやってくる女性がいた。

実は彼女の正体は三輪明神

神が姿を変えてやって来たのであった。

僧都の貸した衣が三輪明神の門前の杉の木にかかっていたことから、それが判明する。

~わが庵は  三輪のやまもと 恋しくば   

    とぶらひ来ませ  杉立てる門~

これは、古今和歌集所収の歌で、能『三輪』では、三輪明神の化身の女が詠んだ歌として使われている。

 

場面は変わり、三輪山の麓に佇む玄賓僧都の前に、女姿の明神が現れる。

三輪明神は、遥か神代の物語、岩戸隠れと三輪山の神婚譚を舞い語り、やがて幽玄の中へ消えて行く。

 

ここで重要なのは、最後に語られる三輪明神の文言です。

思えば伊勢と三輪の神、思えば伊勢と三輪の神、

一体分身の御事、今更何と磐座や…」

~伊勢の神と三輪の神が本来は同神であることは周知のこと。

今更敢えて言うまでもないことだ。~

と、神の降臨する「磐座」にかけて言っているのです。

 

能「三輪」は、作者不明ですが、

古い部類の作品だと言われています。

その当時、伊勢と三輪の神が一体であることは、

ごく普通に受け取られていた事が伺えます。

伊勢の神に関する逸話で、

斎宮の元に神が通った翌朝

床に鱗が落ちていた…」というのがありますが、

これはもうまさに、

蛇神でもある三輪山の神ではありませんか!

そもそも、女神であるはずの

伊勢の神に

なぜ神妻としての斎宮がいるのか…

 

伊勢に祀られたのは、

大和で祀られていた太陽神。

すなわち三輪山の神だったのです。

 

写真は昨年夏、

国立能楽堂での「能楽BASARA」の

公演パンフレットから。

式神神楽という小書の付いた演目でした。

 

大神神社の春の大祭では、

毎年『三輪』が奉納されます。

こちらの方はまだ見たことがありません。

まさに演目の舞台である三輪山の麓で行われる「三輪」!

いずれ是非とも見たいと思います。

 

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