『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

大戦後の日本と似ている?縄文から弥生。

古代史について色々調べていますが、

それは現代に繋げるものでなくてはならない

常々考えています。

そうでなければ意味が無いので、

単なる古いもの好きの歴史愛好家には

なりたくないですね。

 

 前回、土器や装飾古墳の文様から、

縄文から弥生への変化は、

ゆっくりとしたものだったと思う

と書きました。

以前はよく

「稲作技術を持った弥生人が侵入し、

縄文人は駆逐され、南北の隅に

追いやられて行った。」

という事が言われていましたが、

最近は、「混血しつつ融合した。」

という見解になっています。

前述の文様の件からも、

それが妥当だと思います。

 

ところで昨今の社会情勢の影響で、

日本とアメリカの関係が

注目される機会が増えました。

「日本は米国の植民地なのか?」

という言葉が聞かれますが、

何を今さら!

元々実質上の植民地なのですよ。

しかも、米国は非常に上手くやったのです。

あからさまに植民地化したのでは、

反駁を買い、上手くいきません。

国民には気付かれないように、

裏から手を回しつつ…。

 

しかし、悪いことばかりではありません。

軍事面でのリスクはありますが、

その反面、異常な速度で復興を果たし、

最新機器の導入で、

市民生活の利便性も一気に向上しました。

戦後の復興の速さと言ったら、尋常じゃないですよね。

改めて考えると!

「軍事面のリスク」などは、

日常では念頭に無いのですから、

日常生活上は大方において、良いことが多かったのです。

そのため、国民はリスクについて

忘れていました。

それが最近、北の方が不穏な動きを始めたために、

一般国民の念頭に上がって来たに過ぎない。

 ※因みに、4世紀の日本は、高句麗と戦争してました。

  高句麗の国域は、現在の北朝鮮。碑文で有名な

  好太王という人がいたが、

  彼もああいうヘアスタイルで巨漢…

  ではあるまい。

 

クローズアップされ始めた日本とアメリカの関係。

米軍基地に対して強い態度が取れないこと、

火山国日本にこんなにも

やみくもに無節操に原発を作ってしまったのも、

アメリカの思惑だったらしい。

などなど、色々尽きないのですが、

話がそれるので次行きます。

 

このような状況で始まった

第二次世界大戦後の日本の様相が、

列島に弥生人が現れた時の状況に

もしかしたら似ているのではないかと

思ったわけです。

※厳密には、単純に○○人というのも、

語弊がありますが、ややこしいので

以下「弥生人」「縄文人」と表現します。

 

~とある縄文人の証言~

最近見慣れない奴らが来た。

奴らは、自分たちより背も高く

最初は何やら怖げだったけれども、

たことのない道具を持っている。

それは、非常に便利である。

そして、一定の土地を区画し、

米というものを作り始めた。

食料の安定的な確保が出来そうである。

そして、「道具も貸すし、やり方を教えてやるから

仲間にならないか」と言っている。

私は思わず “ギブミー チョコレート!”と

言ってしまいました。

 

その後、弥生人はうまく立ち回り

縄文人の文化を全否定することなく、

双方の文化が融合して行きました。

当然、中には反発する者も出ましたが、

だいたいは、技術を介して

一応友好な関係が結ばれて一件落着。

しかし、よく考えれば、

稲作技術を持ち込んだ方の弥生人

立場的には上…だったのでしょう。

そのひずみが、何かのきっかけで噴出するのは

現代と同じで、

その様な事件が史書にも散見しています。

 

東日本大震災以降、

先人の残したものにもっと留意して、

今後に役立てようとという機運が高まりました。

遅ればせながら、大変有意義な事です。

また、上記のように、

古代史の事を考えるのに、

現代や近代の事が非常に参考になります。

 

戦後を例に取りましたが、

もう一つ参考になるのは、幕末です。

所謂「無血開城」ですが、

これは、「出雲の国譲り」を考える参考になります。

無血と雖も、そこに至るまでには、

多くの血が流れ、紆余曲折を経ていること。

開城後も、それを良しとしない者がいて、

戦乱があった事などなど…。

 

図式化するとこのようになります。

高天原軍が偵察に派遣した者が、敵に懐柔されて

帰ってこない。更には、裏切り者も

 出た?(天稚彦とか)➡開城前の混乱

大国主命の子建御名方命が国を譲った事を不服とし、

 武甕槌神に挑むが敗走し、信濃に蟄居させられる。

 そして、事代主命も何やらわけのわからない方法にて

 雲隠れ➡開城後の混乱

 

ま 結論を一言で言ってしまえば、

人間のやることは、二千年くらいでは

あまり変わらないということですね。

様々な問題を孕んだ今の時代、

歴史の考察の中で、何らかの解決方法を

模索することも出来るのでは?と思います。

 

下は、装飾古墳「虎塚古墳」の現地説明板

縄文と弥生を経て古墳時代へも続く紋様。

三角文や同心円文が見えています。

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 虎塚古墳は、年に二回春と秋に

内部公開が行われています。

写真撮影は禁止です。

そのため、説明板の画像を掲載。

 

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