産土神探し⑥ 田無神社
西東京市田無に鎮座する田無神社は
徒歩6、7分の所に鎮座しています。
谷戸(田無北部の水の豊かな土地)の
宮山の尉殿大権現から
寛文10年(1670)に遷座しました。
宮山の尉殿大権現はそれより先の
それが現在の尉殿神社ですが、
田無神社はそこから正保3年(1646)に
田無に分祀されたものです。
そして更に寛文10年(1670)に
宮山に残っていた尉殿大権現のお宮を
田無に移した…と由緒書にあります。
非常にややこしいですね (@_@;)
さて御祭神ですが、
八衢比古命、八衢比売命、
応神天皇、国内諸神を祀ります。
え?ちよっと待て!
住吉町の尉殿神社から勧請されたのであれば、
風神のはず!
どういうことなのだ!?
しかし、安心して下さい。
その事もちゃんと由緒書に
書いてありました \(^o^)/
「金龍として顕現し…」
御本殿にお祀りされているのでした。
倶利伽羅龍を彷彿とさせる
龍神となっているのです。
そういえば垂迹神の風神二柱も
龍神でありますね。
はっきり言ってしまおう。
御祭神事情も
非常にややこしい ! ( 」´0`)」Oh nooo
では何故に
こんなにややこしくなってしまったのでしょうか?
明治5年であることに
秘密があると思います。
全国的に知名度の高い、
日本神話の中でも
皆がよく知っている大国主命を
主祭神に据えたわけですが、
これはただ単に
知名度を上げようというのでは無く、
「廃仏毀釈対策」ではないかと
思います。
少しでも仏教色が残っていれば
どんな目に会うか分からない。
そんな時代でした (´•ω•`)
だから、
いかにも日本の神様らしい神様を
主祭神として
お招きしたのだと思います。
神仏習合時代は
インドの鰐の神様
クンピーラをお祀りしていましだが、
廃仏毀釈を恐れて、
御祭神としました。
、金山彦命を祭神としている所もあります。)
さて、話を田無神社に戻すと、
この明治期の転換は
非常に上手いと言いたい!
廃仏毀釈対策を施しながら、
元の御祭神も
その姿や性格をそのままに
ちゃんとお祀りしています。
しかも 金龍として顕現!したとは、
更にパワーアップしている感があるではありませんか!
ちょうどこの転換期に
現在の宮司家の賀陽家が
田無神社を奉斎するように
なったようですが、
そのような才に長けた家柄なのかも
しれません。
現在の「開かれた神社」としての
あり方にも
それが現れているように思います。
それにしても、
どうも影が薄いのですね…(´ε` )
参拝すると、
きっとそう思いますよ。
御祭神事情を知って、
ああ そういう訳で…
と、妙に納得してしまいました
( ̄▽ ̄)
※ 2019年に参拝した時は
本殿の注連縄が出雲大社風のずっしりした物だったので
と思ったのですが、
2020年の年頭に参拝すると、
前年とは型の違う細めの注連縄になっていました。
大国主命だと言って注連縄の型に
こだわっていたわけではないんだな。
どんまい、オオクニヌシ (~_~)
2019年の注連縄
2020年の注連縄
古代史に関するホームページを作成中です。
そちらもよろしくお願いします。