『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

産土神探し 番外編 杵築大社(武蔵野市)

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さて、産土神探しで

西東京市の尉殿神社と

田無神社を巡りました。

しかしもう一社

気になるお社があるので

ここに書いておこうと

思います。

 

それは東京都武蔵野市に鎮座する

その名も杵築大社です。

杵築大社!!!

「杵築神社」ではなく

「杵築大社」ですぞ!!

あの出雲の有名なお社と

同名ではありませんか  (⦿⦿)

 

地図を見ていて

目を引いたこの神社は

中央線武蔵境駅にほど近く、

実は

私の生まれた所に最も近い

ある程度の規模を持つ

神社なのでした。

 

御祭神は

大国主命事代主命

いわゆるダイコク様とエビス様の

福の神コンビであります。

創建の経緯は次の通り。

この一帯は三代将軍家光公の

従兄弟の出雲の松江初代藩主

松平出羽守直政公の鷹狩場で

屋敷内に杵築大社(現出雲大社)と

稲荷社両社を創建したのが

始まり…との事。

出雲藩主なので

杵築大社を勧請したのですね  ( ´ω` )/

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さて、

この駅近の

杵築大社を見つけた時は

ここが産土神かな?

と思ったのですが、

結局産土神

尉殿神社と田無神社の

風神様だと判明。

ただ、

この武蔵境の杵築大社にも

何となくご縁を感じるのです。

何故なら、

ここ数年

千葉県北部「印波国」から始めて

古代史を探訪する過程で

出雲系の神には

親しみを持っているのです。

(まァ、昨今は出雲系の神々は

人気がありますからね。

中央政権に覇権を譲った事から、

判官びいきの日本人の

琴線に触れるのかもしれません。)

 

私の場合は

そういうことではなくて、

調査案件に関連のありそうな

古代史の重要地点を巡るうち、

出雲系の神が

予想外に前面に出てきた…というか…

予想外というのは、

印波国の国造は

多氏族なので、

出雲系の神々は

あまり関係ないのではないか?

と、最初は思っていたのです。

 

しかし、

多氏族の祖神の神八井耳命の母は、

三輪の大物主神の血を引きます。

そこで

奈良へ行った時に

真っ先に訪ねたのが、

多神社や唐古・鍵遺跡と共に

三輪の大神神社でした。

ここからは理屈ではありません。

三輪山

私にとって

大変な引力を

持っていたのです。

何故だか分かりません。

その後何回か奈良を訪れましたが、

大神神社には必ず参拝します。

大物主神大神神社周辺の事は

以前にこのブログで

散々書いたので

参考にして下さい)

そして、

三輪山大神神社

調べれば調べるほど

出雲系なのです。

大神神社の御祭神の

大物主櫛甕玉神が

神話で語られるように

大国主命と同神なのかは

わかりません。

また、

三輪山には饒速日命

祀られているのだという人が

いますが、

それも当たっているのかどうか

わかりません。

私見を述べれば

双方とも

そう単純な図式ではない

という気がしますが…。

 

さて

何故だか惹かれる

三輪山の神

それは

最初は関係ないと思っていた

多氏族とも

大いに関係がありました。

先に書いたように

多氏族の祖神が

三輪の大物主神の血筋であること。

更に、

東国へ移住してきた多氏の一派は

大和での氏神であった

三輪の神を奉じて

東遷したらしいと

わかりました。

それが、

現在の鹿島神宮の前身であり、

常陸国風土記

「香島大神」と書かれている神です。

武甕槌神」の神名は

常陸国風土記風土記には

一切出てきません。

その名が文献に出てくるのは

案外新しいのです。

そして東遷した多氏の一派とは

那賀国造の祖の

建借馬命の一団でした。

建借馬命は系図では初代印波国造の

祖父になっています。

(このあたりの経緯は

もう少し詳しく書かないと

よく分からないかもしれませんが、

話題が逸れるので、

簡単にこれくらいで)

 

この鹿島神宮ですが、

私が東国で

最も惹かれる神社であり、

大和の三輪山と同じ引力を

感じるものであります!

数ヶ月に1回は参拝しています。

本当にこれも

理屈ではない!

「同じ匂い」を感じるのであーる!

 

こんな風に

あまり重きを置いていなかった

出雲系の神々も

非常に重要だと

気付いたので、

武蔵野市の杵築大社も

自分と何らかの関係が

ありそうな気がします。

ここは江戸時代の勧請ですから、

おそらく福の神としての

大黒、恵比寿の性格が強く

古代史云々とは

また微妙に

ニュアンスが違うとは

思うのですが…。

 

そんなわけで、

自分の産土神に関して

妄想によるあるストーリーが

浮かんだので

書きます (^_^)ノ

 

꙳★*゚この界隈で

もうじき赤子が生まれると言うので

杵築大社の神々が

「じゃあ俺らが産土ね」

と待っていましたが、

そんな時台風がやってきて

もう少し先に生まれるはずだった

その赤ん坊が

台風の翌日に生まれてしまい、

杵築のダイコクエビス両神

ボヤボヤしている間に

尉殿の風神が

産土神になりましたとさ!

(私が予定日より1週間くらい早く

生まれてしまい、

その前の晩が台風だったので、

きっと台風で驚いて

出てきてしまった

と話してるんだよ…

というのは

子供の頃によく

聞かされた話です  (^J^)

こんなエピソードがあるのも

「私の産土神は風神」と

認定した理由の1つ)

 

さて、

杵築大社の一柱

大国主命ですが、

よく考えたら

田無神社の現在の主祭神

大国主命でしたね  (・o・)

なんだ!いたじゃんオオクニヌシ

忘れててゴメン。

やはり田無神社のオオクニヌシ

印象薄いようで…。

きっと背後で

元々の御祭神の

風神・尉殿大権現(田無神社では

金龍)が

大御所は私達!!

と、睨みを効かせているんでしょう。

またまたドンマイ    オオクニヌシ   (¯―¯٥)

 

 

そんなこんなで

よくわかりませんが、

医療関係とは

全く関係の無い仕事に

就いていた私が

数年前に転職し

医療関係者の

端くれとなりました。

大神神社に何回も

参拝した後の事です。

大物主神大国主命少彦名神

医療関係に関係の深い

出雲の神々のご縁なのかも

しれません  d('∀'*)

 

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上2枚は、境内社の弁財天社

境内社と言っても

杵築大社から武蔵境通りを挟んだ

向かい側です。

以前はひと続きだったものでしょうか?

 

※追記

この後、

あることがわかり、

また驚きなのです。

田無神社の元宮の

尉殿神社(西東京市住吉町)の近くに

尉殿神社の別当時寺だった

宝晃院がありますが、

ここは武蔵境杵築大社の

別当寺でもあったのです。

宝晃院は、

 

杵築大社とは

だいぶ離れているのにです。

生まれた場所に最も近い

この神社が

産土神とも繋がりが

ありました。

資料に、

その理由も書かれていたように

思いますが、

失念しました (-_-;)

近々調べなおして

書き足そうと思います。

 

 

 

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