『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

産土神探し ③ 尉殿神社(西東京市住吉町)

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産土神の手がかりを得て

早速訪れた尉殿神社は、

東京都西東京市住吉町に鎮座しています。

旧地名は保谷市谷戸

同じ西東京市の田無神社の

元宮になります。

 

現在の御祭神は級長戸辺命と大日孁貴。

現在の…と書いたのは、

周辺の神社の合祀や

後から出来た田無神社への

御分霊などがあり、

その時その時で

御祭神の変遷があったのです。

はっきり言って非常にややこしいのです

 (´・ω・`)

 

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 拝殿

 

二回目に参拝した時のこと。

降りたバス停の近くに

偶然市立図書館の分館を見つけ、

その土地でなければ

なかなか見ることの出来ない資料を

入手することが出来たのですが、

それを参考に簡単にまとめると

次のようになります。

①おそらく社殿も持たない形で

水神として祀られる(年代不詳)

神仏習合の時代は

本地として水の守護の倶利伽羅不動明王

垂迹神は奈良の龍田大社を本宮とする

風神の級長津彦命級長戸辺命とされる。

(この年代が由緒に見える創建時期の

建長年間なのでは?と考えます。

また資料では、

“これは水神に風神の性格も併せて

農業の守護としたものである“

という意味のことも書かれていました。)

③周辺の稲荷社や神明社

大六天社などを合祀。

④江戸時代に、

田無地区の開墾のため

谷戸の人達が田無に移住。

それに伴い氏神の尉殿を分祠し

田無神社が創建される。

(この時、風の神の方は

級長津彦命が田無神社に遷座

級長戸邊尊が尉殿神社に残った

と思われますが、

現在田無神社では

級長津彦命級長戸辺命二柱が

金龍として祀られています。)

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  尉殿神社拝殿に掲げられた由緒

  中盤に肥前国や吉備、日向の記述が

  ありますが、これの意味するところが

  ちょっとわかりません。

  図書館で入手した資料にも

  これに関するものは

  見つけられませんでした。

 

 

さて、他にも

尉殿という名称に関することや、

1度移転があったことなど

興味深い話が色々あるのですが、

それは次回にして、

自身の産土神探しの第一歩として

非常に印象的だった事象について

是非とも載せておきたい事があるのです。

 

いや、「第一歩」というのは嘘ですね (^J^)

なんとこの尉殿神社の初回の参拝で

「ここが産土神に違いない!」という確信を

得てしまったのです!

 

もうそれは何と言いますか…理屈ではない…

やはりここでも「現地に立つ」事が

如何に大事か知ったのでありました。

「現地に立つ」とは、

自分が古代史を調べる上で

最も重要視している事です!

\(・o・)/!

 

そしてその確信を後押しした事象とは?

それは空でした。

以下、

参拝時の空です ⬇

 

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神社に着いたころから、

それまで特に目立った雲の無かった空に

縦横に飛び交うような雲が

目立ち始めました。

うっすらと虹を含んだハロも!

 

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 そして、極め付けが

この縦に二本並んだ雲です。

(うーん  電線がちよっと邪魔だが…⤵︎ ⤵︎)

これこそ、子供の頃に空に見て

ずっと不思議に思っていたものだと

わかりました。

その遠い記憶の中では、

それが雲だともわからず

何か空に浮かんだ不思議なものとして

ずっと頭にありました。

それが尉殿神社の境内で

これらの雲を見た時

すぐに「ああ あれはやはり雲だったのだ。

ちょうど今見ているような雲だったのだ。」

とわかったのです。

 

空に立ち上がった雲は二柱。

それは二柱の風の神に

ぴったり当てはまるのではないか?

なんとも不思議なことです (・o・)

私がそれを見たのは、

四歳くらいの時、

生まれた地である武蔵野市から引っ越して

間もなくのことだったと

記憶します。

産土の地を離れた私の前に

二柱の神が現れて

いつでも傍にいますよ!と

告げてくれたのかもしれません。

その後、このような形状の雲に関して

また幾つかの面白いことに気づきました。

その一つは、

自分の作っているホームページの

ホーム画面に使っている写真に

このような雲が写っていることに

気がつきました。

そこで、ホーム画面を

この画像にした時のことを

思い出しました。

偶然と言ってしまえばそうなんですが、

もはや偶然とは思えません。

その経緯とはこうです。

ホームに使う写真の候補を幾つか選び

どれにしようか考えているうちに

何をどうしたのか

無意識のうちにどこかを

押したのでしょう。

この画像が入ってしまいました。

ホームページの作成に

まだ慣れていなかったので

他の画像に変えるやり方も

すぐにはわからなかったのです。

そこで、元々候補にしていたものだし、

結構良かったので

そのままそれに決めました。

後で見て、

この利根川印旛沼に挟まれた

この土地の古代史のテーマにも

良く合っていると思ったものです。

その写真の空に

縦型の雲も含む

上方に伸びる雲が写っていました

最近の経験からの

個人的な感覚ですが、

このような雲は

私には風神を連想させるのです (^^)/

 

 

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  これは社殿上方で交差する雲(暗めに調整)

 

 

まあ とんでもなく長くなってしまいました。

それもこんな個人的なことで… 

申し訳ありません (´・ω・`)

 

しかしながら、この産土神参拝記。

もう少し続きます。

内容に、神社の由緒や

地域の紹介なども盛り込んで行きますので

お許しを !

 

産土神探しの手順(私の場合)❀
①生まれた時に親が住んでいた所から半径4キロの範囲にある神社を調べる
 ②  ①のうち少なくとも江戸時代にはあった神社を調べる
③  該当しそうな所はとにかく参拝してみる。

①、②は産土神鑑定士の方の著書の記述を参考にしています。
③は特に重要です。現地で感じたことは正しいのです。何故かすごく惹かれる物があるか、参拝時に印象に残る出来事があったとか。逆に理由は分からないが何となくピンと来ないとか。(ただし、2回3回と参拝するうちに手応えを感じるようになる事もあるそうです。その辺は難しいですね)


①、②に該当する所は沢山あると思いますが、どういう順番で参拝するかは、直感で決めて下さい。また、そうしているうちにたまたまそのうちのどれかの近くに行く用事が出来るかもしれません。それはもしかすると偶然ではないかもしれません。ご縁ありです。

 

私の場合は前後の行動から自ずと最初に参拝する場所が決まり、行ってみたら手応え大いにありで、すぐにわかってしまいました。

地図上で、幾つも候補があったので、これから一つずつ参拝して、わかるには時間がかかるのだろうなと思っていたにも関わらず…。

案外、皆そんなものかもしれません 。

現在住んでいる所が遠くて、気軽に何回も行けない方も、「色々調べているうちに何かが繋がり、行動を開始したらすぐにわかってしまった」ということになるかもです ( ´ω` )/

 

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