『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

太陽になりたかった男。石舞台古墳。

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    石舞台古墳から見える二上山

 

前回「神の遣い」のおじさん達の

話題が出たので、

奈良は石舞台古墳から

書こうと思う。

 

石舞台古墳

かつては、もはや決まったように

蘇我馬子の墓だと言われていたが、

さすがに今は、

あからさまにそうは説明されない。

はっきりそうと分かったわけではないので

それが妥当である。

 

石舞台へ行く前に、

甘樫丘の近くにある

明日香村埋蔵文化財展示室に寄った。

昔幼稚園だった建物を利用した

素朴な良い資料館である。

 

部屋の真ん中では、

石舞台古墳に関するビデオが

流されていたので見ていると、

最後の方でこんな感じのフレーズが流れた。

「夕暮は、夕日に照らされて

赤く輝いた事でしょう。」

それをきいて閃いた。

この男は、太陽になりたかったのだ!

 

石舞台古墳の位置するところは、

奈良盆地も南の外れに近いが、

北から、御蓋山、龍王山、三輪山、鳥見山など、

聖なる山の連なるラインの

延長線上にあると言ってよい。

これらの、盆地東側の山々は、

古代には、太陽信仰の中心であった。

山頂から昇る朝日の崇拝。

その時東に坐すのは、

神のはずである。

その延長線上に築かれた大型方墳。

里から昇る朝日を拝するとき

人々は盆地からみて高台に位置するこの古墳を

拝するような形となる。

夕は、二上山の方角から射し来る夕日が

古墳を照らした。

古墳から二上山がよく見えるのだ。

 

被葬者は死後、

自らが太陽の神になろうと

したのでは?

 

そんな事を考えて、

二上山の写真などを撮っていると、

「熱心にお撮りになってますね。」などと

話しかけられ、いよいよ「神の遣い」の

お出ましである。

二上山が石舞台から、

こんなによく見えるんですね。」

とか答えていると、

~その時によって見え方が全然違う。

時に、真っ赤に染まるときがあり、

それは、向こう側の河内辺りの

水蒸気の具合なども関係する云々。~

 

どうやら、よくここに来ては

二上山の観察をしている人のようだ。

それにしても、

向こう側の大気の状態で

見え方がそんなに変わるとは

知らなかった。

 

二上山の話が一段落すると、

持統天皇の話になった。

~天武・持統天皇夫妻は、

仲が良くて一緒の墓に

入っているように見えるが、

実は違うのだ。

持統は、天武天皇

祟って出てこないように

見張るために、

自分を天武の横に葬れと

生前遺言していた。

その証拠となる資料も

出ているのです。~

 

資料も出ているとは

驚きである!

しかし、それがどこから出たのか?

どういう種類の文献なのか?

そういうことは、聞き流してしまい、

再度聞くのもはばかられ、

わからないままになってしまった。

 

しかし実際、それはあり得るかもしれない。

何故なら、持統天皇の父は天智天皇で、

落馬によって落命したとされてきたが、

暗殺説もあり、

仕掛け人は、天武である。

父を暗殺した夫を

持統は恨んでいたという話。

その時点で仲のいい夫婦ではない。

ではなぜ天武が祟って出るのか?

それは、天武の死後

持統天皇のしたことは

ことごとく、天武の意に反することであった。

天武が最も信頼し、

後継と目していた大津皇子

謀反したとして処刑。

我が子の草壁皇子皇位につけるためだ。

しかし、草壁は早世してしまう。

そこで今度は、

草壁の子で、孫にあたる軽皇子

皇位につけた。(文武天皇

 

天武の意に反して即位させた皇子が、

天武に祟られてはならないという

強い思いがあってもおかしくない。

 

このような事から、

どこから出たのかも

分からなくなってしまった文献だが、

大いにあり得ると思うのだ。

 

さて、そんな事を語った後、

よくその辺にいるような

おじさんである「神の遣い」の

その人は、次の目的地へ

原付バイクで去った。

 

信憑性があるのかないのかわからぬが、

面白い話を伺った。

石舞台へ来て、

石舞台とは直接関係ない話が

印象に残る事となったが、

「神の遣い」の役目はそれだけでは無かった。

実はこの後時間があったら

桜井市の鳥見山に行こうかと思っていたのだが、それには少し遅くなってしまったのでやめた。

しかし、それで良かったのだ。

おじさんと話していたのは

そんなに長い時間ではない。

もし、これで時間を取られなかったら

鳥見山に行ってしまい、

近鉄奈良駅前のトヨタレンタカーに

車を戻すのにギリギリの時間となって、

帰り道、さぞかし焦った事であろう。

帰途は時間的に、道路も混雑している箇所が

いくつもあったからだ。

やはり、あのおじさんは神の遣いである。

いや、石舞台で会ったので、

石舞台関係者か?

 

因みに、例の明日香村の資料展示室では、

石舞台古墳は、それより以前のいくつかの

古墳を破壊して、その上に築かれた。」

との説明があった。

そんな事をするから、自分の墳墓も、

墳丘の盛り土を持ち去られ、

あんな石室だけの姿になってしまうんよ‼︎

と思っていたが、

関係者の方に助けられたかもしれないので、

あまり非難するのはよそう。

でも、他人の墓を破壊したり、

太陽になろうとしたりする男。

やはりそれは「蘇我馬子」のイメージに

ピッタリだ。

 

最後にもう一つ感想として…,。

古墳だけが野っ原にデーンとあるのかと思ったら、周囲は公園として整備されて、

見学料を払うと近くまで行け、

石室内にも入れるという仕組み。

その事を知らなかったので、

閉館時間を少し過ぎての到着となり、

遠巻きに見ることとなったが、

それでも、巨石を積み上がった石室の光景は

圧巻でありました🙆‍♀️

 

 

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   石舞台古墳

 

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