能『三輪』のこと
前回の記事で触れた能の演目「三輪」について言及しようと思います。
先ずはあらすじ ↓
三輪山の麓で庵を結んでいた僧玄賓の許へ、
仏に供える水を持ってやってくる女性がいた。
実は彼女の正体は三輪明神。
神が姿を変えてやって来たのであった。
僧都の貸した衣が三輪明神の門前の杉の木にかかっていたことから、それが判明する。
~わが庵は 三輪のやまもと 恋しくば
とぶらひ来ませ 杉立てる門~
これは、古今和歌集所収の歌で、能『三輪』では、三輪明神の化身の女が詠んだ歌として使われている。
場面は変わり、三輪山の麓に佇む玄賓僧都の前に、女姿の明神が現れる。
三輪明神は、遥か神代の物語、岩戸隠れと三輪山の神婚譚を舞い語り、やがて幽玄の中へ消えて行く。
ここで重要なのは、最後に語られる三輪明神の文言です。
「思えば伊勢と三輪の神、思えば伊勢と三輪の神、
一体分身の御事、今更何と磐座や…」
~伊勢の神と三輪の神が本来は同神であることは周知のこと。
今更敢えて言うまでもないことだ。~
と、神の降臨する「磐座」にかけて言っているのです。
能「三輪」は、作者不明ですが、
古い部類の作品だと言われています。
その当時、伊勢と三輪の神が一体であることは、
ごく普通に受け取られていた事が伺えます。
伊勢の神に関する逸話で、
「斎宮の元に神が通った翌朝
床に鱗が落ちていた…」というのがありますが、
これはもうまさに、
蛇神でもある三輪山の神ではありませんか!
そもそも、女神であるはずの
伊勢の神に
なぜ神妻としての斎宮がいるのか…
伊勢に祀られたのは、
大和で祀られていた太陽神。
すなわち三輪山の神だったのです。
写真は昨年夏、
公演パンフレットから。
白式神神楽という小書の付いた演目でした。
大神神社の春の大祭では、
毎年『三輪』が奉納されます。
こちらの方はまだ見たことがありません。
まさに演目の舞台である三輪山の麓で行われる「三輪」!
いずれ是非とも見たいと思います。
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