倭迹迹日百襲姫命と三輪神の神話
箸墓全景(北西側から)
前回の記事の末尾に「倭迹迹日百襲姫命と三輪山の神の話の感想」を次回に書くと言いながら、すっかり忘れてだいぶ日にちが経ってしまいました (^_^;)
さて、なんだっけ?
前回は日食と邪馬台国の話に言及し、長々となってしまったのでしたが…。
今回のは、他愛もない個人の感想と思っていただければ幸いです (^^)v
古事記のこの部分を読むと、
三輪の神ったらちょっと驚いたくらいでキレて何なの?
もう少し寛大でもいいのにねぇ…とつい思ってしまうんですが、
前回書いたように、もしこれが日食を表す神話だとしたら、
神が怒らずに、
「なんだよー。このくらいで驚いて。わざわざ怖くなさそうな小蛇になったのに、しょうがないなぁ」と言い、
空に昇らず、倭迹迹日百襲姫命と朝ごはんかなんか食べていたら話が進まないわけで…。
なので、強引に空にかけ昇る展開にしてしまったために、こんな短気な神様みたいになってしまったのでしょう。
ということは、「この不自然さからしても、これは日食神話に違いない!」
とこれまた無理やりにそっち方向に持って行ってしまいたいところですが、それは置いといて、
この「小蛇」というのがまた気になるわけですね。
三輪の神が蛇ならば、大蛇のはず。
蛇がとぐろを巻いて七巻きしたのが三輪山である…という話もあるし。
「小蛇」に関しては、
何か難しい理由を述べている著作もあったかと思うのですが(何に書いてあったのか忘れました)、
私としては、
これは神の優しさではないかと…
大蛇だったら、驚き怖がることは必至である。でも、正体を明かすと言ったからには、嘘の姿ではダメ…。
そうだ!蛇でも小さければ、怖がらないに違いない!
と、優しい三輪の神様はお考えになったのです。
本当に優しいんですよ。
三輪の神様は!
しかし、姫は驚いてしまいました。
しかも、よりによってそのせいで死んでしまったのです!
悲しんだ神様は、
彼女の墓を作るのに一役買いました。
箸墓は、夜は神が作ったのです。
本当に激怒したなら、
こういうことはしないでしょう。
さて、この箸墓築造の記述のもう1つのキーワードは二上山です。
墓に用いる石は二上山から運んだのです。それは、人々が手渡しで運びました。
何故二上山なのか…
それは、太陽信仰において、三輪山と対になる山だからです。
箸墓の被葬者は定かではありません。
倭迹迹日百襲姫命の墳墓だというのも伝説の域を出ないものです。
しかしながら、
三輪山と二上山の太陽信仰に関わった者の墓域であることに間違いないと思います。
箸墓のほとりに立つとそれが良く解る。
二つの御山の間に位置し、
三輪山に寄り添うように横たわる箸墓。
そして被葬者は必ず女性である!という直感。
直感…これは学問的にはNGなのですが、
私はその時、現地でわけのわからない確信をしたのでありました。
三輪山と箸墓後円部
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