『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

等彌神社参拝記 ③ (奈良県桜井市鎮座)

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道に沿って並ぶ境内社を左手に見ながら

上津尾社の脇を登っていくと、

神武天皇霊畤」の遥拝所に至ります。

霊畤とは神武天皇が橿原で即位した後、

最初に神祀りを行った場所であり、

これが大嘗祭の始まり。

記念すべき「第1回大嘗祭」なのです。

 

霊畤は鳥見山山頂にあるので、麓に遥拝所があるのです。

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この先の道を進めば、

饒速日命降臨伝承の白庭を経て

山頂の霊畤に至るのですが、

大変道が荒れている!

台風の影響がまだ色濃く残る時期だったからかもしれません。

この日の状況を見ると

いったいこの先へ行く人がいるのか?

と思ってしまいますが、

通常は普通に辿れる道なのでしょう。

また機会があれば、山頂まで行ってみたいと思います。

  

 

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※二つの鳥見山霊畤伝承地について

鳥見山霊畤とされている所は、宇陀市榛原にもあります。

このような場合、どちらが本当か?という議論になったりしますが、

神武天皇の霊畤は、どちらも本当のようです。

何故なら、日本書紀の記述に、

「号けて、上小野の榛原、下小野の榛原という」とあり、

霊畤の中に上下の二つがあったことが分かります。

古代、榛原と言われる土地は

現在の桜井市鳥見山の方まで含んでいたのかもしれません。

その中に二つの斎場を設け、

それぞれが桜井市宇陀市の鳥見山に残っているのでしょう。

等彌神社の「上津尾」と「下津尾」の社は

上小野」「下小野」のことで、

何時かの段階で等彌神社境内にまとめられたと考えられます。

二つの斎場を儲けて行われた神事とは、いったいどんな神事だったのでしょう!

興味は尽きません (⊙ө⊙)

 

 

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