桜井市鳥見山に鎮座する等彌神社と宗像神社
何回にも渡り書いてきましたが、
等彌神社と宗像神社も訪れました。
奈良で参拝した神社は
参拝の理由が概ね一貫しています。
それは、自分の古代史探求の発端である千葉県北部の古代印波国の関連地です。
これまでの記事を整理すると、
①印波国造が多氏族だとされている事から、
田原本町の多神社(多坐彌志理都比古神社)。
②多氏族の系譜や多神社の位置から、
③多氏の始祖である神八井耳命の墓所と伝わる八井神社(現八幡神社…畝傍山北麓の山本町に鎮座)へ…。
なので、この度の等彌神社と宗像神社も、その一環となります。
ざっと説明しましょう (⌒^⌒)b
古代印波国(千葉県北部、印旛沼周辺)の地域に
特徴的な神社分布があるのは、
この辺の古代史に関心のある人なら周知の事です。
すなわち、麻賀多神社と宗像神社と鳥見神社が10社以上存在し、
各神社の分布域は厳然と区別されているというものです。
麻賀多神社は、成田市、富里市、酒々井町、佐倉市、八千代市に20社。
(全部で18社という情報が一般に流布していますが、
これは少々古い情報であり、
自分の現地踏査では20社存在します。
20社というのが最新情報ですので留意して下さい (•ө•)♡)
(茨城県河内町に1社あるが、それは下総国からの移住があったのである。)
※3社の境界は厳然と分かれているとの見解が各資料で見受けられますが、
自分の立地調査によると、各社の領域の境界部分で
多少の重なりあいが見られることは、
以前書いたと思います。
(書いたと思うのですが
、書いてなかったらスミマセン。
記憶が曖昧です ( ̄∀ ̄) )
このような印波国の状況を踏まえて見ると、
、桜井市鳥見山周辺も饒速日命の伝承地であり、双方の関連は明白です。
等彌神社も「とみ」ですから、関連社になります。
(ただし、等彌神社は饒速日命を御祭神とはしていません。
しかし、検討して行くとそれには何の矛盾や不自然さがない事が分かります。
これに関して論じると長~くなってしまうので、
別の機会を設けたいと思います。)
このように、地名や関連氏族から双方の繋がりは明白なのですが
、更に興味深いことに、
桜井市鳥見山の北麓には宗像神社もあるのです。
印波の鳥見と宗像の両方が揃っている!
三輪山に多氏族が関わっているとすれば、
印波国には多氏族創建の麻賀多神社があるので、
印波国の特徴的な3社に関わる神域が、
これは行かないわけにはいきませんね!
ということで行って来たのですが、
長くなりましたので、鳥見山周辺探訪記は次回から ∠( ˙-˙ )/
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