『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

産土神探し⑧ 田無神社(西東京市)

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  拝殿前の狛犬たち

 元気いっぱい!

 やんちゃです!

 

 

今回はまた私事が多くなりますが…

( ´ω` )/

産土神探しで訪れてみると、

現在の自分と繋がる要素が

いくつもあるのに驚いたので、

それも書いておこうと思います。

 

①勧請元である尉殿神社の御祭神の

本地仏倶利伽羅不動明王

であること。

(現在の居住地に最も近い

大規模な寺院が

不動明王を本尊とする

成田山新勝寺です)

しかも、かつて田無神社の

別当寺だった西光寺が

現在総持寺と名前を変えて

田無神社の隣にありますが、

そこには成田山新勝寺

直接関係するものが

ありました。

明治11年

成田山新勝寺から勧請し、

最初は「田丸屋」という宿屋の

敷地内に置かれ、
その後大正6年

この地に遷座した

「滝の不動尊」です。

そう言えば

小学校の頃住んでいた近所にも

「お滝不動尊」というのが

あったなぁ…

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 総持寺の滝の不動尊

 

 ②  印象的な狛犬

狛犬はいくつかおりましたが

問題の狛犬

御札の授与所の前に置かれた一対です。

こういう場所にあると言うことは、

代替わりした先代の

狛犬たちなのでしょうか?

風貌はあまり見かけないタイプです。

何故これらが重要なのかと言うと、

今色々と調べている地元の古代史の、

それに大いに関係する

近隣の神社に

同じ種類と思われる

狛犬がおりました。

千葉県印西市平賀にある

宗像神社です。

田無神社の狛犬

かなり大きいですが、

宗像神社の狛犬はとても小さく、

境内社の前にいます。

この風貌の狛犬

これまでここでしか見たことが

ありませんでしたが、

田無神社にいたのです。

更にそれだけではありません!

この宗像神社の狛犬

以前写真に撮って、

パソコンに保存したのですが、

その時使っていたパソコンは

変な機能があって、

特定の写真を勝手に

ピックアップして、

「これは誰ですか?」

などという表示が出ます。

何故かこの狛犬がピックアップされて

「これは誰ですか?」

と聞かれました。

しかも何これ?と思って

いじっているうちに

それは保存されました。

パソコンを買い換えた時も

その画像は移行されて、

今でもデスクトップには

あるかもです!

(最近、その辺いじってないので、

近々確認してみよう  (^^)/  )

 ⇩

確認しました!

いました! (^^)/

 

他にも狛犬や石仏など、

顔認証されそうなものを

撮っているのに

何故この子だけ?

その特別に保存された狛犬

同じ風貌の狛犬

田無神社にいたとは

なんとも不思議…(~,~)(~,~)

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 田無神社・授与所前の狛犬です

 

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 千葉県印西市平賀・宗像神社の狛犬たち

 境内社三峯神社の前なので、

 オオカミもおります。

 可愛い小オオカミです🐺💛

 上の画像の子が、

 「誰ですか?」の狛犬ですよ。

 

 

余談ですが、

1つ思い出したので。

そのパソコンに認識される画像が

もうひとつあり、

ある部分が選択されて

やはり「これは誰ですか?」

しかし、その部分は

どう見ても

木の枝しか写ってないのです。

なんだったんだろう?あれは。

実は何かが

写ってたんでしょうか〜[°□°]

 

気が付いたんですけど

はてなブログ今週のお題

「怖い話」ですと?

予期せずして

今回の話題は

ちょっと

マッチしていたかも !(^^)!

 

 

さて、締めとして

田無神社、その他のユニーク狛犬たちをご紹介!

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 龍神池の顔だけ狛犬

 あ これも怖いですね~

 

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  道祖神前の水中狛犬

 鳩を狙っていますね…(-_-;)

 これもまた怖い (笑)

 

では、

狛犬ネタで

暑い夏を

少しでも涼しく!

 

※追記

後日参拝したところ、

授与所下の狛犬達が

いなくなっていました  (⦿⦿)

どこかに

しまわれてしまったのだろうか?!

…と寂しく思っていたら、

居りました ( ᷇ᵕ ᷆ )

境内の大黒様と恵比寿様のお社が

改修されて

場所もちょっと変わり

そこの狛犬となっていたのです。

狛犬には

授与所下より

ふさわしい場所ですね。

良かったです !(^^)!

 

 

 

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産土神探し⑦ 基準にしたこと

産土神探しの手順(私の場合)❀


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級長戸辺命を祀る姉埼神社

(千葉県市原市

 

この辺で、産土神探しで

私が基準にしたことを

改めて載せておきます。

産土神探しシリーズの

最初の方の記事には

末尾に載せたのですが、

最近の記事には

載せ忘れてしまったので

独立の記事としてみました。


①生まれた時に親が住んでいた所から

半径4キロの範囲にある神社 を調べる
 ②  ①のうち少なくとも江戸時代には

あった神社を調べる
③  該当しそうな所は、

とにかく参拝してみる。

 

☆  ①、②は産土神鑑定士の方の

著書の記述を参考にしています。
③は特に重要です。

現地で感じたことは正しいのです。

例えば、何故かすごく惹 かれた物が

あるとか、

参拝時に印象に残る出来事が

あったとか。

逆に理 由がわからないが

何となくピンと来ないとか。

(ただし、2回3回と参拝するうちに

手応えを感じるようになる事も

あるそうです。

その辺は難しいですね)

 

①、②に該当する所は

沢山あると思いますが、

どういう順番で参拝 するかは、

直感で決めて下さい。

また、そうしているうちに、

たまたまそのうちのどれかの近くに

行く用事が出来るかもしれません。

そ れはもしかすると

偶然ではなく、ご縁ありです。

 

私の場合は前後の行動から

自ずと最初に参拝する場所が決まり、

行 ってみたら手応え大いにありで、

すぐにわかってしまいました。

地図上で、幾つも候補があったので、

これから一つずつ参拝して、

わかるには時間がかかるのだろうな

と思っていたにも関わらず…。

案外、皆そんなものかもしれません 。

 

現在住んでいる所が遠くて、

気軽に何回も行けない方も、

「色々調 べているうちに

何かが繋がり、

行動を開始したら

すぐにわかってし まった」

ということになるかもです ( ´ω` )

 

 

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産土神探し⑥ 田無神社

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西東京市田無に鎮座する田無神社は

西武新宿線田無駅から

徒歩6、7分の所に鎮座しています。

谷戸(田無北部の水の豊かな土地)の

宮山の尉殿大権現から

寛文10年(1670)に遷座しました。

宮山の尉殿大権現はそれより先の

元和8年(1622)に上保谷分祀され、

それが現在の尉殿神社ですが、

田無神社はそこから正保3年(1646)に

田無に分祀されたものです。

そして更に寛文10年(1670)に

宮山に残っていた尉殿大権現のお宮を

田無に移した…と由緒書にあります。

非常にややこしいですね  (@_@;)

 

さて御祭神ですが、

主祭神大国主命とし、

併せて須佐之男命、猿田彦命

八衢比古命、八衢比売命、

日本武尊命、大鳥大神

応神天皇、国内諸神を祀ります。

 

え?ちよっと待て!

住吉町の尉殿神社から勧請されたのであれば、

御祭神は級長津彦命級長戸辺命

風神のはず!

どういうことなのだ!?

 

しかし、安心して下さい。

その事もちゃんと由緒書に

書いてありました  \(^o^)/

 

すなわち級長津彦命級長戸辺命

「金龍として顕現し…」

御本殿にお祀りされているのでした。

なるほど神仏習合時代の本地仏

倶利伽羅龍を彷彿とさせる

龍神となっているのです。

そういえば垂迹神の風神二柱も

龍神でありますね。

 

はっきり言ってしまおう。

御祭神事情も

非常にややこしい ! ( 」´0`)」Oh nooo

 

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 本殿中央に据えられた倶利伽羅不動明王の木像

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  正面から見るとちょっと宇宙人ぽい倶利伽羅不動明王の木像

 

では何故に

こんなにややこしくなってしまったのでしょうか?

それは、大国主命主祭神としたのが

明治5年であることに

秘密があると思います。

全国的に知名度の高い、

日本神話の中でも

皆がよく知っている大国主命

主祭神に据えたわけですが、

これはただ単に

知名度を上げようというのでは無く、

廃仏毀釈対策」ではないかと

思います。

少しでも仏教色が残っていれば

どんな目に会うか分からない。

そんな時代でした  (´•ω•`)

だから、

いかにも日本の神様らしい神様を

主祭神として

お招きしたのだと思います。

 

香川県金毘羅宮も同様です。

神仏習合時代は

インドの鰐の神様

クンピーラをお祀りしていましだが、

廃仏毀釈を恐れて、

それまで垂迹神としていた大物主神

御祭神としました。

(ただし、神仏習合時代の垂迹神

大物主神の他に金山彦命だとも言われているので、

各地に分祀されている金毘羅神社の中には

金山彦命を祭神としている所もあります。)

 

さて、話を田無神社に戻すと、

この明治期の転換は

非常に上手いと言いたい!

廃仏毀釈対策を施しながら、

元の御祭神も

その姿や性格をそのままに

ちゃんとお祀りしています。

しかも 金龍として顕現!したとは、

更にパワーアップしている感があるではありませんか!

 

ちょうどこの転換期に

現在の宮司家の賀陽家が

田無神社を奉斎するように 

なったようですが、

そのような才に長けた家柄なのかも

しれません。

現在の「開かれた神社」としての

あり方にも

それが現れているように思います。

 

それにしても、

主祭神大国主命

どうも影が薄いのですね…(´ε` )

参拝すると、

きっとそう思いますよ。

御祭神事情を知って、

ああ  そういう訳で…

と、妙に納得してしまいました

  ( ̄▽ ̄)

 

※  2019年に参拝した時は

本殿の注連縄が出雲大社風のずっしりした物だったので

「なるほど、ここに主祭神大国主!という感じが出ているな」

と思ったのですが、

2020年の年頭に参拝すると、

前年とは型の違う細めの注連縄になっていました。

大国主命だと言って注連縄の型に

こだわっていたわけではないんだな。

どんまい、オオクニヌシ  (~_~)

 

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  2019年の注連縄

 

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  2020年の注連縄

 

 

 

 

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産土神探し ⑤ 田無神社

 

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   拝殿・2019年5月の撮影

 

 

谷戸の尉殿神社、

現在の鎮座地の住所は

西東京市住吉町ですが、

そこから勧請されたのが、

田無神社です。

 

田無神社という呼称は

明治になってからのもので、

それ以前は

尉殿大権現と呼ばれていました。

今でも授与品を入れてくれる袋や

境内の由緒書きには

尉殿大権現と書かれています  (^J^)

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なので、尉殿神社と田無神社は

ふたつでひとつと言えます。

ということは、

「私の産土神は?」と言った場合、

どちらかではなく、

その両方である…というのが

正しいのかもしれません。

 

田無神社には尉殿神社を参拝した後に

伺いましたが、とても楽しい所でした!

 

楽しい…と言っていいのかどうか

( ̄∀ ̄)

とにかく、歴史ある風格に加えて

時代の要素を取り入れた

まさに現代に生きている神社!

そんな感じです。

さもありなん!

神社自らが

「開かれた神社」と銘打っているのでした!

古色蒼然とした神域も好みですが、

こういう柔軟に時流に乗って、

それが伝統の重みを邪魔しない程度に

バランスが取れている… 

そんな寺社も

私はすごく好きなのです。

(このバランスが取れている…

というのが大事 ( ‘-^ )b 

中には、ウケを狙ってか

極端に今風を取り入れて

なんだかなぁという所も

ありますよね)

 

やっぱり産土神だわぁ!

…とまず思いました。

境内を巡っているうちに

数々の驚くべき事象

例えば、今こうしているのは

ここの縁なのか!!

と思わせる物が出て来て

面白かったのですが、

それは次回に回して、

ここでは境内の様子、

中でも「開かれた神社」らしい箇所を

見て貰おうと思います \(^o^)/

 

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 この地域の歴史を物語る用水路のあった場所に

池が作られていました。

田無用水は時には暗渠となって

今も市内を流れています。

この池はビオトープにもなっているとのこと。

 

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 時代にマッチした「インスタ映え」用パネル

(^◇^)

 

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ここにも今の時代が反映されています。

 

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レンジャーものとコラボ

 

しかし、その反面本殿は

素晴らしい彫刻の施された

有形文化財である

(間近で見ることはできませんが…)

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御神木のイチョウも素晴らしい!

街中の神社ですが、

境内にはこの他にも

 

太い幹の立派な木が

いくつもありました。

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さて、谷戸町の尉殿神社から勧請され

明治時代の神仏分離

また大きな変化があった田無神社の

諸事情は複雑です。

次回、それらをまとめてみようと思います (^^)/

 

 

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産土神探し④ 尉殿神社(西東京市住吉町)

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前回、西東京市住吉町の

尉殿神社を紹介しました。

御祭神の変遷も簡単に書きました。

 

さて、「尉殿」という珍しい社号。

これはどういう意味なのでしょうか?

確定は出来ませんが、

色々な資料を見てみると

どうやら文字は当て字で、

ジョーという音に意味が

あり、水に関係があるようです。

何故なら関東の各所に

類似音の「十殿」「承殿」「種殿」「重殿」等の神社が点在し、

いずれも水神だそうです。

 

「ジョー」は

ポルトガル語で水を表す言葉、

すなわちジョーロの「ジョー」だという考えをどこかで読みましたが、

妙に納得です。

確証は無いが何となく

「これだ!」と思ってしまいました。

社殿が造られ、

御祭神が確定されたのが

11世紀だとすると、

大いにあり得ると思います。

ではその前は

何と呼ばれていたのか…?

鎮座地周辺は「谷戸」と呼ばれる所です。

「やとの神」…

常陸国風土記に出てくる蛇の

「夜刀神」を思い出します。

「夜刀」は「谷戸」、「谷津」と

同じ言葉で、

水を湛えた谷に生息していた蛇が

夜刀神であり、

すなわち水神です。

西東京市(旧保谷市)の谷津(谷戸)の神が

後にジョードノと呼ばれるようになったとすると、元は蛇神かもしれません。

後世、本地を倶利伽羅不動明王とし、

垂迹神に龍田の風神を

持ってきたのも頷けます。

倶利伽羅不動明王とは、

剣に龍が巻きついた形ですし、

龍田の風神は龍神なのです。

双方、蛇神の面影を宿しています。

「谷津」と言えば、

水戸市の立野神社の鎮座地も

谷津町でした。

 

さて、「ジョー」が音に意味があるとして、

何故「尉」の文字が当てられたのでしょう。

それはおそらく

神社に「尉面」(能の翁の面)が伝わることによるかと思われます。

謂れは定かではありません。

しかし、この尉面から

一時期とんでもない展開になったのです。

「尉面なら、御祭神は住吉の神であろう」と思われて、

住吉神社とされていた時期があったそうです。

住吉の神はたいてい「翁」で表されるので…。

現在の鎮座地の住所が「住吉町」なのはその名残です。

 

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 拝殿の扉

 

尉殿神社は一度移転しています。

現在の田無第二中の辺りが

元の鎮座地で、

その近くの宝晃院が別当寺でした。

宝晃院には神仏習合時代の

尉殿権現のご神体である

倶利伽羅不動明王像が

安置されているそうです。

宝晃院にはまだ参っていないので、

今度行ってみようと思います。

でも、倶利伽羅不動明王像は

見ることが出来ないんだろうなぁ   

( •́ •̀ )

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  西東京市文化財のパンフレットより

  御神体倶利伽羅不動明王

 

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 山茶花の頃
 

余談だが、

「ジョー」「ジョー」と連呼していると

どうしても「ジョー!立つんだジョー!」と

あしたのジョー』のセリフが浮かんで…

( ̄▽ ̄)

(脱線すみません "(-""-)" )

 

 

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産土神探し ③ 尉殿神社(西東京市住吉町)

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産土神の手がかりを得て

早速訪れた尉殿神社は、

東京都西東京市住吉町に鎮座しています。

旧地名は保谷市谷戸

同じ西東京市の田無神社の

元宮になります。

 

現在の御祭神は級長戸辺命と大日孁貴。

現在の…と書いたのは、

周辺の神社の合祀や

後から出来た田無神社への

御分霊などがあり、

その時その時で

御祭神の変遷があったのです。

はっきり言って非常にややこしいのです

 (´・ω・`)

 

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 拝殿

 

二回目に参拝した時のこと。

降りたバス停の近くに

偶然市立図書館の分館を見つけ、

その土地でなければ

なかなか見ることの出来ない資料を

入手することが出来たのですが、

それを参考に簡単にまとめると

次のようになります。

①おそらく社殿も持たない形で

水神として祀られる(年代不詳)

神仏習合の時代は

本地として水の守護の倶利伽羅不動明王

垂迹神は奈良の龍田大社を本宮とする

風神の級長津彦命級長戸辺命とされる。

(この年代が由緒に見える創建時期の

建長年間なのでは?と考えます。

また資料では、

“これは水神に風神の性格も併せて

農業の守護としたものである“

という意味のことも書かれていました。)

③周辺の稲荷社や神明社

大六天社などを合祀。

④江戸時代に、

田無地区の開墾のため

谷戸の人達が田無に移住。

それに伴い氏神の尉殿を分祠し

田無神社が創建される。

(この時、風の神の方は

級長津彦命が田無神社に遷座

級長戸邊尊が尉殿神社に残った

と思われますが、

現在田無神社では

級長津彦命級長戸辺命二柱が

金龍として祀られています。)

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  尉殿神社拝殿に掲げられた由緒

  中盤に肥前国や吉備、日向の記述が

  ありますが、これの意味するところが

  ちょっとわかりません。

  図書館で入手した資料にも

  これに関するものは

  見つけられませんでした。

 

 

さて、他にも

尉殿という名称に関することや、

1度移転があったことなど

興味深い話が色々あるのですが、

それは次回にして、

自身の産土神探しの第一歩として

非常に印象的だった事象について

是非とも載せておきたい事があるのです。

 

いや、「第一歩」というのは嘘ですね (^J^)

なんとこの尉殿神社の初回の参拝で

「ここが産土神に違いない!」という確信を

得てしまったのです!

 

もうそれは何と言いますか…理屈ではない…

やはりここでも「現地に立つ」事が

如何に大事か知ったのでありました。

「現地に立つ」とは、

自分が古代史を調べる上で

最も重要視している事です!

\(・o・)/!

 

そしてその確信を後押しした事象とは?

それは空でした。

以下、

参拝時の空です ⬇

 

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神社に着いたころから、

それまで特に目立った雲の無かった空に

縦横に飛び交うような雲が

目立ち始めました。

うっすらと虹を含んだハロも!

 

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 そして、極め付けが

この縦に二本並んだ雲です。

(うーん  電線がちよっと邪魔だが…⤵︎ ⤵︎)

これこそ、子供の頃に空に見て

ずっと不思議に思っていたものだと

わかりました。

その遠い記憶の中では、

それが雲だともわからず

何か空に浮かんだ不思議なものとして

ずっと頭にありました。

それが尉殿神社の境内で

これらの雲を見た時

すぐに「ああ あれはやはり雲だったのだ。

ちょうど今見ているような雲だったのだ。」

とわかったのです。

 

空に立ち上がった雲は二柱。

それは二柱の風の神に

ぴったり当てはまるのではないか?

なんとも不思議なことです (・o・)

私がそれを見たのは、

四歳くらいの時、

生まれた地である武蔵野市から引っ越して

間もなくのことだったと

記憶します。

産土の地を離れた私の前に

二柱の神が現れて

いつでも傍にいますよ!と

告げてくれたのかもしれません。

その後、このような形状の雲に関して

また幾つかの面白いことに気づきました。

その一つは、

自分の作っているホームページの

ホーム画面に使っている写真に

このような雲が写っていることに

気がつきました。

そこで、ホーム画面を

この画像にした時のことを

思い出しました。

偶然と言ってしまえばそうなんですが、

もはや偶然とは思えません。

その経緯とはこうです。

ホームに使う写真の候補を幾つか選び

どれにしようか考えているうちに

何をどうしたのか

無意識のうちにどこかを

押したのでしょう。

この画像が入ってしまいました。

ホームページの作成に

まだ慣れていなかったので

他の画像に変えるやり方も

すぐにはわからなかったのです。

そこで、元々候補にしていたものだし、

結構良かったので

そのままそれに決めました。

後で見て、

この利根川印旛沼に挟まれた

この土地の古代史のテーマにも

良く合っていると思ったものです。

その写真の空に

縦型の雲も含む

上方に伸びる雲が写っていました

最近の経験からの

個人的な感覚ですが、

このような雲は

私には風神を連想させるのです (^^)/

 

 

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  これは社殿上方で交差する雲(暗めに調整)

 

 

まあ とんでもなく長くなってしまいました。

それもこんな個人的なことで… 

申し訳ありません (´・ω・`)

 

しかしながら、この産土神参拝記。

もう少し続きます。

内容に、神社の由緒や

地域の紹介なども盛り込んで行きますので

お許しを !

 

産土神探しの手順(私の場合)❀
①生まれた時に親が住んでいた所から半径4キロの範囲にある神社を調べる
 ②  ①のうち少なくとも江戸時代にはあった神社を調べる
③  該当しそうな所はとにかく参拝してみる。

①、②は産土神鑑定士の方の著書の記述を参考にしています。
③は特に重要です。現地で感じたことは正しいのです。何故かすごく惹かれる物があるか、参拝時に印象に残る出来事があったとか。逆に理由は分からないが何となくピンと来ないとか。(ただし、2回3回と参拝するうちに手応えを感じるようになる事もあるそうです。その辺は難しいですね)


①、②に該当する所は沢山あると思いますが、どういう順番で参拝するかは、直感で決めて下さい。また、そうしているうちにたまたまそのうちのどれかの近くに行く用事が出来るかもしれません。それはもしかすると偶然ではないかもしれません。ご縁ありです。

 

私の場合は前後の行動から自ずと最初に参拝する場所が決まり、行ってみたら手応え大いにありで、すぐにわかってしまいました。

地図上で、幾つも候補があったので、これから一つずつ参拝して、わかるには時間がかかるのだろうなと思っていたにも関わらず…。

案外、皆そんなものかもしれません 。

現在住んでいる所が遠くて、気軽に何回も行けない方も、「色々調べているうちに何かが繋がり、行動を開始したらすぐにわかってしまった」ということになるかもです ( ´ω` )/

 

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産土神探し② 立野神社(茨城県水戸市谷津町)

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  茨城県水戸市谷津 立野神社

 

 

前回、産土神探しのスタートラインとなった神社は、水戸市谷津町の立野神社だと書きました。

産土神西東京市の神社なのですが、

なぜスタートラインが水戸なのか…

説明しましょう!( ´ω` )/

 

まず、立野神社の参拝の機会は唐突に訪れました。

その日も、年に2回は参拝している水戸市飯富の大井神社に行こうとしていたのです。

そして常の如く、周辺の神社や遺跡等を幾つか訪ねるという予定であります。

そこで、久しぶりに白水社の「日本の神々  神社と聖地  11  関東」を紐解いてみました。

大井神社の項を改めて読んでいると、

近隣の立野神社に言及している所がありました。

以前も読んだはずですが、

短い部分ゆえ、

すっかり忘れていたのです。

 

そして「今回はここへ行ってみよう!」とすぐに思いました。

 

さて、立野神社とはどのような神社なのでしょうか?

御祭神は級長津彦命と級長津姫命。

風神です。

級長津姫とは級長戸辺命の事だと

考えて良いのでしょう。

これら風の神々の本宮は、奈良県三郷町に鎮座する龍田大社です。

龍田大社では、両神は天御柱神、国御柱大神として祀られています。

社伝によれば、崇神天皇の御代、世間に猛威を奮っている疫病などを納めるために、「龍田の立野の小野」に風の神を祀れとの夢を見たので、その地に風神を祀ったとの事。

「立野」の語句から、立野神社は奈良の龍田大社からの勧請に違いありません。

そして、周辺の事情からしても

間違いないと思います。

何故なら、

立野神社のすぐ近くに三野輪町や三野輪池という池があり、

このような地名のある所は

奈良の三輪山周辺からの移住があった所なのです。

例えば千葉県と埼玉県に江戸川を挟んで、

三輪野山や三輪野江という地名があります。

ここには

奈良からの移住であるという

はっきりした伝承があり、

三輪の大物主神を祀る茂呂神社等があります。

「茂呂」は三輪山の別名「三諸山」の「モロ」です。

さて水戸に話を戻すと、

立野神社の近隣には

三輪系神話の伝承される朝房山があります。

また、近隣の水戸市飯富町の

大井神社の御祭神は

那賀国造の祖の建借馬命。

すなわち、国造を中心に

日本の中心である大和の様相を

そのままこの地に写した様子が

想像出来ます。

 

このようにな歴史的背景を持ち、

式内社の論社にもなっている立野神社ですが、今では大変ひっそりと鎮座していました。

いくつかの画像で紹介します。

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  参道

 

 

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  本殿屋根

 

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  脇の参道から境内を見る

 

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 年紀の入った石宮の点在する境内、御神木

 

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さて、驚くべきは

この立野神社を参拝して帰宅したその夜。

そのタイミングで、

産土神調べの距離の基準」についての

記述を目にし、

改めて地図を調べて急に目に入ったのが

西東京市住吉町の尉殿神社。

珍しい神社名なので

御祭神の見当がつかず、

すぐに調べてみたところ、

なんとそれは級長戸辺命!!

立野神社と同じ風の神ではありませんか!

(尉殿神社は、同じ西東京市にある田無神社の元宮で、級長津彦命の方は途中で田無神社の方に遷座したという経緯があるらしく、現在の尉殿神社の風神としての御祭神は級長戸辺命だけです。しかし、田無神社では級長津彦命級長戸辺命の二柱の神を金龍としてお祀りしています。これらの御祭神の変遷事情は複雑な歴史的背景がありますので、後日田無神社の紹介の時に述べる事とします  (^-^)V  )

 

この田無神社と関係があるという事も

産土神の候補に上がる要因になりました。

武蔵野市から千葉県に引っ越して

何年も経ってから

犬を飼ったのですが、

その犬は田無から来たのです。

何故田無のお宅から貰い受ける事になったのでしょうか?

数年前まで、私たち一家は

近隣の武蔵野市に住んでいた事も

関係あるかと思いますが、

その時、私はまだほんの子供だったし、

聞くべき母親は

もう亡くなっているので、

知る術がありません  (´・-・`)

父親はきっと理由なんか覚えていない (^.^)/~~~

 

急に思い立って参拝した立野神社。

参拝後その日のうちに目に入った

同じ風の神を祀る尉殿神社。

産土神探しのまず最初に行くべき所は

ここだと直感したのでありました!!

 

☆立野神社の所在地☆

茨城県水戸市谷津町 899番地

 

産土神探しの手順(私の場合)❀ 

①生まれた時に親が住んでいた所から半径4キロの範囲にある神社を調べる。

 ②  ①のうち少なくとも江戸時代にはあった

 神社を調べる。

③  該当しそうな所はとにかく参拝してみる。

 

①、②は産土神鑑定士の方の著書の記述を

参考にしています。

③は特に重要です。現地で感じたことは

正しいのです。例えば、何故かすごく惹かれる物があるとか、参拝時に印象に残る出来事があったとか。逆に理由は分からないが何となくピンと来ないとか。(ただし、2回3回と参拝するうちに手応えを感じるようになる事もあるそうです。その辺は難しいですね)

 

①、②に該当する所は沢山あると思いますが、どういう順番で参拝するかは、直感で決めて下さい。また、そうしているうちにたまたまそのうちのどれかの近くに行く用事が出来るかもしれません。それはもしかすると偶然ではないかもしれません。ご縁ありです。

私の場合は前後の行動から自ずと最初に参拝する場所が決まり、行ってみたら手応え大いにありで、すぐにわかってしまいました。

地図上で、幾つも候補があったので、これから一つずつ参拝して、わかるには時間がかかるのだろうなと思っていたにも関わらず…。

案外、皆そんなものかもしれません 。

現在住んでいる所が遠くて、気軽に何回も行けない方も、「色々調べているうちに何かが繋がり、行動を開始したらすぐにわかってしまった」ということになるかもです ( ´ω` )/

 

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