『古代史逍遥』dropout

古代史についてのホームページを運営しています。このブログでは、HPに載せられない事柄や、ちょっとした感想などを自由気ままに書いています。もしかするとその中に、真実が隠されているかもしれません(^J^)

風神を訪ねて➃ 立野神社(茨城県常陸大宮市)

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以前、茨城県水戸市の立野神社を

紹介しましたが、

常陸の国には

もうひとつ立野神社があります。

常陸大宮市上小瀬に鎮座しています。

上小瀬 351番地)

 

級長津彦命と級長津戸辺命を祀る

常陸国久慈郡延喜式内社で、

延喜式神明帳には

大和国龍田神社と同体なり」

と記されているとのこと。

 ※奈良県龍田大社については

  先の投稿を参照してください (^^)/

 

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久慈郡

律令制の敷かれる以前は

久自国造が治めていました。

しかし、国造の時代の

支配領域というのは

範囲を特定するのが

非常に難しい!*1

久自国造の領域としては

現在の日立市

常陸太田市の大部分と

常陸大宮市

日立市常陸太田市の方は

比較的わかりやすいのですが、

常陸大宮市の部分が

どこまでなのか?

久慈川以東」という説明を

見たことがありますが

ちょっと狭すぎやしないか?

地図を見るとわかりますが、

常陸太田市から

常陸大宮市に入ると

すぐに久慈川にぶちあたります。

実際、立野神社は久慈川以西に鎮座!

式内社があるということは、

少なくともこの辺りまでは

国造の勢力が及んでいたと

思うのです。

 

さて、久自国造は

伊香色雄命の後裔の

物部系の国造です。

勧請元の龍田大社の神官は

かつては立野氏でありました。

(現在はその流れを汲む安村家とのこと)

『大和志料』には

竜野氏と表記されているらしく、

龍田の神を祀る家としては

そちらの方がしっくりくるかも。

その立野氏は

宇摩志麻遅命の末裔とされ、

即ち物部氏の系統です。

物部系の国造の

常陸国久慈郡の立野神社が

式内社として

存在感を示しているのは

それだけ本宮の龍田大社

ご縁が深かったからでしょう。

それゆえ神明帳にも

龍田神社と同体」という

記載が見られるのでありますね。

 

さて、何ゆえ

いつになくこまごまと

氏族の説明などに及んだかというと、

立野神社への道中で

「塩子」という地名を

目にしたからです。

 

「塩子」というのは、

物部鹽子連(しおこのむらじ)に関係するかもしれない

地名なのです。

私の居住地の近隣にも

かつて物部郷と言われていた地域があり

それに隣接して山梨郷。

「やまなし」は

物部一族で応神天皇妃の

物部山無媛(やまなしひめ)との

関連が言われています。

この辺は明らかに

物部氏の痕跡のある地です。

 (千葉県四街道市物井付近)

そこからさほど遠くない所に

「塩古道」(ここは千葉市になります)

というのがあるのですが、

道となると

「塩の運搬に使った道」もあるので、

そうなると

全く関係のない話になってしまう…

鹽子連と山無媛も

あまり詳しい情報が

出てこない人物ではありますし、

「塩古道」についても

まだあまり調べていないので

よくわかりません (*_*)

 

しかし、

常陸大宮市の「塩子」は、

確実に物部鹽子連関連かな?

と思い、ワクワクしたわけであります !(^^)!

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 古色蒼然とした境内社

 

 

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 古色漂う中にも賑やかな境内社 ('ω')ノ

 見れば伊勢神明社

 天照大神は何処?

 祠の中を岩戸に見立てた

 岩戸開きの図かもしれません!

 それにしてはメンバーが…(-_-;)

 

 

 

 

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*1:+_+